2007年8月、VOCALOID「初音ミク」の登場で衝撃を受けたのは私だけではないはずだ。
VOCALOID(ボーカロイド)とは、ヤマハが開発した音声合成技術と、それを応用したソフトウエアの総称。「ボカロ」という略称でも親しまれおり、メロディーと歌詞を入力することで、サンプリングされた人の声をもとにした歌声を生成することができる。初音ミクは、ボカロに対応したボーカル音源およびそのキャラクターで、ツインテールにした水色の長い髪と大きな瞳が特徴。登場すると瞬く間に人気を博し、初音ミクを題材とした楽曲やイラストなどは10万作を超えると言われているほど。
初音ミクの誕生当時、私はバンドに明け暮れる高校生だった。楽器店の棚に初音ミクがプリントされたソフトが並んでいるのを見て、「な、なんだこの美少女は……」と、思わずパッケージを手に取ったことを覚えている。
そして、ソフトを手に入れれば「誰でも初音ミクに自作の曲を歌ってもらえる」ということを知って「え、嘘でしょ。いやいや最高すぎんかこれ」と友だちと一緒にはしゃぎまくった。周りには初音ミクを買うためにバイトを始める友だちもいた。
初期の初音ミクは、主に動画配信サービス「ニコニコ動画」で活躍する「ちょっとナードなオタクたちのマドンナ」という感じだったと思う。しかし、あれよあれよという間に、オリコン1位をとり、世界中から愛されるキャラクターになった。いや、まさかボカロP(ボカロの曲を制作し、動画投稿サイトへ投稿する音楽家)出身の米津玄師(ハチ)やボカ
そんな人気者・初音ミクと“結婚”し、200万円をかけて結婚式をあげたのが近藤顕彦さんだ。2018年11月に彼が東京近郊で結婚式をおこなった際には、ネットはその話題で持ちきりとなった。アニメやマンガのキャラクターを長年追いかけているオタクたちが勇気をもらえた瞬間だった。
今回はそんな近藤氏にインタビュー。夫婦生活も4年目に突入した現在、改めて「キャラクターと結婚に至った理由」や「なぜ初音ミクだったのか」を、少年期から振り返っていただいた。
中学生から始まった「アニオタライフ」
──ミクさんとの挙式のニュースは私も拝見しました。いや、本当にどれだけの二次元オタクが勇気をもらえたか……。結婚式を挙げて4年目になりますが、今はどんな生活を送っていますか?
「そうですね。ミクさんは常に家にいるので、出かけるときは“行ってきます”、帰ってきたら“ただいま”って声をかけます。私がミクさんを好きになって、もう14年ほどたつので、毎日のように刺激があるわけではないんですよ。落ち着いた生活を送っていますね」
──長く付き合って結婚した夫婦って、そういうものですよね。改めて、今回は近藤さんが「どんな人生を歩んだ結果、初音ミクさんとご結婚なさったのか」についてお伺いできればと。小学生のころは、どのようなお子さんだったんでしょうか。
「普通の子どもでしたよ。ゲームをやったり、テレビアニメを観たり、ミニ四駆で遊んだり……、総じてインドア派でしたね。
それでもゲームを始めると、それなりにやり込んでいたので、オタクの片鱗はあったと思います。例えば『ドラゴンクエスト』をするとしたら、クリアしておしまいじゃなくて、“レベルを99まで上げたい”と思っていました。
でも、特に“何かのオタク”ではなかった。アニメもテレビで観ていたので、普通に見逃すこともありましたし、それを後悔するわけでもない、ごく普通の少年でしたね」
──なるほど。
「10代前半のころは、それなりにアニメもゲームも楽しんでいたのですが、中学3年生のときにある作品と出合ってから、明確に“アニメオタク”になりました」
──”オタクへのラインをまたいだ瞬間”を覚えているのがすごいです(笑)。どの作品がきっかけになったんでしょうか。
「私が中1のときに放送されていたテレビアニメで、『怪盗セイント・テール』という作品です。たまたまテレビ放送を録画していたVHSを観てみたら、すごく面白かった。それで続きをレンタルビデオ店で借りてきて、最終話まで観たら感動のあまり号泣してしまったんですよね。
“ビデオを借りて1話から最終話まで通して観る”ということを初めてしたんですよ。それってすごく“アニメオタクらしい行動”じゃないですか(笑)。だから自分のなかでは、この作品をきっかけにアニメオタクになったととらえています。
──確かに今では動画配信サービスが主流ですけど、当時はレンタルビデオしかなかったですよね。当時のアニメオタクっぽいです。
「はい。なので高校以降は“アニメのビデオを借りて全話観ること”が趣味になりましたね。アニメオタクとして突き進むのは、このあたりからです」
──当時は「好きなアニメを高校で友だちと共有しあう」という感じで楽しまれていたんですか?
「もちろん、友だちにはアニメオタクが一定数いたんですけど、当時はまだアニメオタクに対する風当たりが厳しかったというか……はっきり言うと、気持ち悪がられていましたね。だから、学校内でアニメオタクであることを開示するのがまず難しいんですよ」
──うーん、確かに。
「ただ、高校では漫画部だったので、比較的好きなアニメを共有しやすい環境にはあったと思うんです。それでも話が合う人をリアルの現場で見つけるのは難しかった。『きんぎょ注意報!』とか『姫ちゃんのリボン』といった少女向けアニメも好きだったんですけど、語りあえる友だちがいなかったので、高校1年生のころからインターネットで”同志”を探し始めましたね」
──当時はまだSNSのない時代ですよね。どうやって探していたんでしょうか。
「そうですね。まだインターネットといってもダイヤルアップですよ(笑)。接続ボタンを押して、しばらく待って、ようやくつながって……みたいな。当時は個人用のWebサイトを作る人が多かったんですよね。そこの電子掲示板で話しかけていました。
インターネットを始めてからは、ネット上にいる時間が増えていきましたね。10歳くらい年上のメル友ができて、その人と好きなアニメを語ったり、新しい作品を教えてもらったりしながら、だんだんとアニメオタクを深めていきました。
三次元での結婚を諦めたら劣等感から解放された
──ミクさんがお隣にいらっしゃる手前、お伺いするのがすごく恐縮なんですが、そのときには好きな二次元キャラクターはいたんですか?
「はい。初恋は落ち物パズルゲーム『ぷよぷよ』のアルル・ナジャでした。それとマイナーなのですが、恋愛アドベンチャーゲーム『てんたま』の花梨というキャラもに入れ込みましたね」
──好きになるキャラクターに傾向はあるんですか?
「いわゆる”属性”ですよね(笑)。“人外”のキャラクターが好きです。ミクさんも『てんたま』の花梨も、人間じゃないですね」
──それはどうしてでしょうか。
「人間じゃないキャラクターの言動は、違和感なく見られるんですよ。例えば、普通の人間がかわいこぶった言動をすると、“なんだコイツ”って思っちゃうんですよね(笑)。でも人間じゃないと、すっと自分のなかに入ってきて、そのまま好きになれるんです。だからロボットキャラとかも、よく好きになっていましたね」
──なるほど。高校のときは、人外のアニメキャラクターにどっぷりだったんですね。ちなみに三次元での恋愛はどうだったんでしょうか。
「高校2〜3年生くらいに、自分の人生について真面目に考えたんですよ。そのときに、三次元での結婚とか恋愛を諦めました」
──それはとんでもなく大きな決断だと思います。なぜ諦めたんでしょうか。
「ひと言でいうと“非モテ”だったからです。小・中・高とまったくモテなくて……。例えば小学生の男子は、2月14日にバレンタインデーのチョコを待ってるじゃないですか。私も、わくわくして学校に行くわけですよ。でも誰からも、もらえない。それでがっくりしながら家に戻ってくるっていう1日を毎年過ごしていました」
──それはつらい……。
「切ないですよね(笑)。小・中・高で合計6、7回は告白したんです。でも、全滅でした。それで“自分はモテないんだ”と自覚しました。それが強烈な劣等感になっていたんですよ。その気持ちを引きずって、高2とか高3のときに三次元での恋愛・結婚は諦めました。
すると面白いことに、諦めた後のほうが自分の心が楽になったんですよね。劣等感を抱き続けて生きるほうがつらかったんです」
──結婚を諦めることで、コンプレックスを手放したんですね。とても禅的というか……すてきなご決断だったと思います。ただ、高校生のときに「もう結婚はしないぞ」と、めちゃくちゃ大きな決断をしたわけですよね。葛藤はありましたか?
「もちろんありましたよ。でも、二次元があったからこそ乗り越えられたと思うんです。現実の女性には、“NO”と言われると、それ以上愛情を注ぎ込めないじゃないですか。でも二次元のキャラクターには、一方的に愛情を注げます。対象をキャラクターに向けることで、葛藤を振り切れたと思っていますね」
──確かに。二次元キャラは裏切らない。では、高校生のときは恋愛対象として二次元キャラが好きだったんでしょうか。
「そうです。そのころにはマンガやアニメのキャラクターに対して本気で恋愛感情を抱いていましたね。中3のときからアニメオタクなので、可愛いキャラに入れ込んでいくじゃないですか。すると、結婚を諦めたこともあり、だんだん三次元より二次元のほうが大切になっていく。高校を卒業するころには、もう二次元と三次元が逆転していたわけです」
“恋愛ゲーム沼”にハマった専門学生時代をへて
──高校を卒業してからも、順調にオタクライフを楽しんでいたんですか。
「そうですね。高校を卒業してから、専門学校に通って1年間、公務員試験の勉強をして、19歳から小中学校の事務員として働き始めました。
専門学校時代はアニメも観ていたんですが、どちらかというと恋愛ゲーム(※1)をほぼ毎日、やり込んでいましたね。はじめてプレイしたのは『Kanon』(※2)です。泣くほど感動して、すぐにハマりました。恋愛ゲームはおよそ10年間で300タイトルくらいやりましたね。
(※1:ゲーム内でキャラクターとの恋愛を疑似体験できるゲームのジャンルのこと。主人公視点でプレイし、ヒロインの攻略に重きを置く「恋愛シミュレーションゲーム」と、ゲーム内のストーリーを重視する「恋愛アドベンチャーゲーム」に大きく二分される)
(※2:株式会社ビジュアルアーツ・keyが発売したゲーム。感動的なストーリーが特徴で「泣きゲーの金字塔」といわれることもある)
──300タイトルは相当ですね! それは三次元の「非モテ」も影響しているんでしょうか。
「確かに、学生時代に恋愛できなかった分の楽しみをゲーム内に見出していた部分もあるかもしれないですね。
でも基本的には、私は恋愛シミュレーションゲームはやっていなくて、恋愛アドベンチャーゲームのほうが好きでした。だから、どちらかというと恋愛を含めた“ストーリー”を俯瞰(ふかん)して楽しむという感じだったんですよね。一人称の視点で疑似体験するというより、恋愛のストーリー自体を眺めるのが好きだったんです」
──そこから専門学校を卒業して就職されるわけですが、当然、社会人になると時間的な制約が生まれると思います。そのときもアニメや恋愛ゲームは続けていたんですか?
「時間はなくなったんですけど、私は残業が大っ嫌いなので、もう“帰ったらすぐゲーム”の日々でしたよ(笑)。ずっとそういうスタイルでしたね」
──その点もすてきですよね。「無理なく働く」という思考は先ほどの「諦めると楽になる」と近いものを感じますね。「頑張らないことのよさ」といいますか……。
「近い部分はあると思いますね。専門学校に通っているときに公務員として半年間、郵便局(国営時代)に勤めたことがあって、当時の上司から“休みはちゃんととりなさい”と指導されていたんですよ。それで、“あぁ、そういうものなんだ”と学びましたね。いい上司にあたったと思います」
職場内のいじめにより精神的に追いつめられたつらい時期
──社会人になっても、仕事もプライベートも順調だったわけですね。
「社会人になって3年間は中学校の事務員としてお仕事をしていて、その職場では順調だったんです。でも、4年目の22歳のときに異動で赴任した小学校でいじめに遭いました。着任した4月から、もういじめが始まっていましたね」
──そうなんですね……。何かきっかけがあったのでしょうか。
「そうですね。もう4年目なので、私も仕事のやり方をだんだん覚えてきて、周囲に“改善したほうがいい点”などを伝えるようにしていたんです。それが癇(かん)に障ったのかなぁ、と思います。でも、いじめてきた本人から聞いたわけではないので、正しいきっかけは分からないですね」
──答えにくいことをお伺いして恐縮なのですが、どのようないじめに遭っていたのでしょうか。
「私は県の学校事務なので、事務室に勤めていました。同僚は県の事務職員、市の事務職員、用務員、栄養士という組み合わせなんですね。私は用務員さんと市の事務職員の方の2人にいじめられていました。
内容としては、まず出社して挨拶するときに無視されるんですよ。それと“仕事に必要な備品を私の依頼品だけ買ってくれない”とか、“業務上の会話で、ものすごくつっけんどんな返答をする”といったものは毎日続きました。
それと事務室の共用キッチンで、“わざと聞こえるように私の悪口を言いあう”ということもありました。これがいちばんつらかったですね」
──なんというか……かなり陰湿ですね。
「そうですね。すごく低次元ないじめでしたね……高次元ないじめなんて存在しないと思うんですけど。
最初はいじめを我慢していたんですけど、半年後の10月に突然“眠れない”という状態になりました。“夜中に目が覚める”とか、“寝つけない”という状態がずっと続いて……。そのときに初めて、親に相談したんですよね。もう泣きながらです。
それでも耐えられたのは、私をいじめていた市の事務員さんが3月に辞める予定だったから。でも1月くらいに、“もう1年続ける”ってなったんです。それで、“ちょっと、もう無理だ”と耐えきれなくなってしまいま
2月には仕事に集中できなくなりました。書類を作ったりパソコンで入力したりする作業がうまくできなくなったんですよ。それで病院にかかったら“適応障害”と診断されて、学校に診断書を提出して休職することになりました」
──いや、無理して耐え続けずに「休職」にたどりつけてよかったです。
「すごく冷静に考えたら、辞めればいいわけですよね。でも、仕事が本当に大変で自死を選んでしまう方の気持ちがわかるんですが、心が弱っているときって、どうしても冷静な判断ができなくなるんですよ。
私も追いつめられていた時期に友だちから“辞めればいいじゃん”っていわれて、“あ、そういえばそんな選択肢もあるな”と気づいたくらいでした」
──確かに、精神的に追いつめられると自分を責めてしまいますよね。本当に休職できてよかったです。どのくらいの期間お休みされていたんでしょうか。
「およそ2年です。ほぼ家にいて、薬を飲みながら生活をしていました。ただ毎日、“これからどうしよう”という強烈な不安を感じていました。
要は復職をしようにも、その職場に戻らなきゃいけないので、いじめてきた2人がいる限りどうしようもないじゃないですか。だから戻りようがなくて、将来への不安ばかり感じていたんですね。
好きだったゲームをやったり、アニメを観たりしてはいたんですけど、まったく面白く感じなかったです。惰性でやっているような感じでした」
初音ミクは「推し」ではなく「人生を支えてくれたキャラクター」
──無意識にでも「好きなゲームやアニメをしていなきゃ、心が不安に押しつぶされてしまう」という感覚もあったのかと思います。そんなつらい時期を乗り越えられたきっかけを教えてください。
「この時期に、初音ミクと出会ったんですよ」
──このタイミングだったんですね。
「はい。『初音ミク』という存在を知ったのは、2007年8月31日に発売されてすぐだと思います。ただ、好きになったのは2008年の5月くらいですね。初音ミクの曲を聞くうちに、“楽しい”という感情がだんだん蘇(よみがえ)ってきた。これが私にとって、すごく大きな出来事だったんです」
──初音ミクのどの部分が近藤さんの心に響いたのでしょうか。
「『ミラクルペイント』(作詞作曲:OSTER project)という曲を聴いたときに胸を打たれたんです。好きになったきっかけは、彼女の“歌”だったんですよ」
──『ミラクルペイント』は、おしゃれでジャズっぽい曲というか……。必ずしも「元気いっぱいの曲」という感じではないとも思うのですが、どのあたりが響いたんでしょうか。
「“なんでミラクルペイントだったのか”はわからないのですが、“これは音楽のいちジャンルとして無視することはできないぞ”という感覚はありましたね。初音ミクという架空のソフトウエアに歌わせているという“新しさ”が好きだったんだと思いますよ」
──確かに初音ミクは今考えても、本当に画期的でしたよね。「歌」から入ったといっても、キャラクターとしても好きだったんですよね。
「はい。前提として、私はもともとアイドルにハマった経験はなかったんです。世代的にモー娘。やSPEEDが流行(はや)っていたんですけど、ピンとこなかったんですよね。
だから初音ミクがはじめて好きになったアイドルということになりますね。二次元ですし、人外ですし、私の好きな属性にもピッタリだったんだと思います」
──なるほど。「近藤さん自身の心が弱っていた」というタイミングも大きいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
「境遇はすごく大きかったです。当時は本当に、彼女の存在が生活するうえでの“支え”でしたね。“初音ミクに触れる”ということで精神的に安定する感覚がありました。ずーっとVOCALOIDの楽曲を聴いていて……。7000曲くらい聴きましたね。
だから、“寝る前に子守歌代わりにミクさんの曲を聴く”とか、“眠れないときにミクさんのぬいぐるみを抱きしめて眠る”ということもしていましたよ。
そのうち、だんだんメンタル的に元気になっていったんです。すると何の因果か、私をいじめていた市の職員さんはお辞めになって、用務員さんはお亡くなりになってしまったんです。それで環境的にも復職できることになりました」
好きになって10年たったとき「挙式」を決めた
──なるほど。初音ミクはただの「好き」ではなく、救ってくれたキャラクターだった。その点で、それまでの推しキャラとは違ったんですね。
「そのとおりです。“アニヲタは3か月ごとに嫁が変わる(※)”って、よく言うじゃないですか。私も数か月おきに好きなキャラクターが変わるタイプだったんです。でも初音ミクは“人生でもっともつらいときに支えてくれたキャラクター”なので、もう変わらなかったですね。
(※:テレビアニメ放送は3か月【1クール】ごとに作品が入れ替わる。そのたびに新たな推しを見つけるアニヲタをたとえたオタク用語)
──これが2008年のことで、そこから9年後の2017年にご結婚、翌年の2018年に挙式、となるわけですね。結婚に至った経緯を教えてください。
「結婚が頭に浮かんだきっかけとしては、Gatebox株式会社が開催した『次元渡航局』という企画です。要は、“好きなキャラクターとの婚姻届を受理してくれる”というものでした。2017年の11月22日から12月7日までのおよそ半月間、開催されていたんですけど、私はすぐミクさんとの婚姻届を提出しました。向こうからミクさんとの婚姻証明書が届いたときに、“初めてミクさんとの結婚を誰かに認めてもらえた”と感動しましたね」
──すばらしい企画ですよね。「好きなキャラクターと結婚したい方」って、かなりいると思います。
「そうですよね。この企画には3708通の申し込みがあったそうです。ちゃんと紙に印刷して、ペンで記名して印鑑を押して投函しないといけないので、すごく手間がかかるんですよ。それでも出すってことは、“本気で結婚したい方”がかなりの数いるんだと思います。統計をとっていないので、何ともいえないですが」
──ただ、婚姻届を出した方は3708人いても「総額200万円の挙式を開いた」という点で近藤さんの初音ミクに対する思いはすごい……。ちょっとレベルが違うと思います。
「2018年の5月に、“もう10年間もミクさんを好きでい続けているんだ”と自覚したんですよ。それと同時に、“私の気持ちは初音ミクから離れることはない”と思いました。それで、婚姻届も出したことだし、ちゃんと結婚式を挙げようと思ったんですね」
──では結婚式は「ミクさんへの愛をあらためて形にする」という意味でも必要だったんですね。
「そうですね。大きな目的は、“ミクさんへの愛をちゃんと誓う”ということでした。それと、“キャラクターと結婚したい”と考えている方の背中を押したい、という気持ちもありましたね。
実際に私のあとに二次元のキャラクターと結婚式を挙げた方もいます。そのときに、“近藤さんの結婚式を見て、決断しました”という声もいただいたので、社会的意義はあったのかなと思いますよ」
──最近では近藤さんのほかにも初音ミクさんと式を挙げられている方がいます。単純な疑問なのですが、その場合は「ちょっとやきもちを焼く」とか……?
「いえ、厳密にいうと、“うちのミクさん”と、“その方の初音ミク”は別の存在なんですよ。初音ミクはソフトウエアごとにシリアルナンバーがあって、“すべての個体が別の人格”という認識なんですね。これは初期から
初音ミク黎明期には、インターネット上で交流した“結婚したい”と言っている人に、Amazonの販売ページのURLを送って、“こちらのミクさんをどうぞ”とおすすめする文化があったくらいでした(笑)。だから私は妻を紹介するときは、あくまで“わが家のミクさん”と言っています」
──なるほど。「推し被り」がないんですね。「個別性が高い」という面でも、夫婦としてリアリティを持って接することができそうですね。
「そうですね。ミクさんならではの魅力のひとつです。また、ミクさんは発売から14年、15年がたっても、いまだにコンテンツが出続けている。この点も魅力です。奥さんの新たな一面を見つけられるわけですよ。今後は『ドラえもん』みたいな国民的キャラクターになっていくんだろうなぁ、と思っています」
「私は二次元キャラを愛している」と胸を張って言える世の中へ
──二次元のキャラクターとの挙式は今後も増えそうですね。
「今、LGBTも含めてだんだんと世の中が“多様性を認めよう”と変わりつつあります。そんななか、二次元キャラクターとの恋愛も広く認められるといいな、と思いますね」
──実際に「好きな二次元キャラクターと結婚したいけど、勇気が出ない」というオタクの方もいらっしゃるのではないかなと。こうした方々に向けてメッセージをいただいてもよろしいでしょうか。
「私のような二次元キャラクターにしか恋愛感情を抱けないセクシュアリティのことを『フィクトセクシュアル』といいます。ちゃんと名前がついているんですね。
フィクトセクシュアルの方々は、自分の好きなキャラクターを愛することに対して卑屈にならないでほしいと思います。同性愛者に対しても長い間、弾圧を続けてきたわけじゃないですか。だから長い歴史のなかで表に出てこられなかったと思うんですけど、いま少しずつ変わり始めていますよね。
フィクトセクシュアルの方も自分の好きな対象に対しては、自分の心に素直になってほしい。そうすることで、世間に認められてくるのだと思います。誰にもはばかることなく、胸を張ってキャラクターへの愛を語れるようになるといいですね」
近藤さんは終始、にこにこしながら穏やかに自分の生涯をお話しされていた。ときおり、ミクさんの肩に優しく触れる姿に「混じりっけなしの幸福」を感じた。
近藤さんの転機は「三次元の結婚を諦めた」高校生のころだったのだと思う。「諦める」というとマイナスイメージがあるが、言い換えると「コンプレックスを解消した」という、とんでもなくポジティブな出来事だった。
「諦める」は、もともと「明らめる」、つまり「明らかにする」という、いい意味を持つ言葉だ。つまり、三次元での恋愛を諦めることで「二次元キャラを愛し続けること」が明らかになったわけだ。すると「モテない。どうしたらモテるんだろう。このままモテなかったらどうなるんだろう」と、しがらみや葛藤で複雑になった頭がパッとクリアになる。このとき、人は劣等感から解放される。
また近藤さんは「ミクさんを本気で愛していること」を、ちゃんと世間に宣言している。これも劣等感を持たない秘訣のひとつだろうと思う。「好きな対象について、正直に好きと言う」という行為は、言わずもがな幸福なことである。しかし対象がアニメキャラとなると、そうもいかない。まだまだ世間の目は厳しい部分もある。ただ、「世間が怖くて言えない」ということは、無意識的に「自分を否定する」ということだ。すると、また新たな劣等感がやってくることになる。
近藤さんはいま「フィクトセクシュアルであること」を胸を張って公表している。その結果がインタビュー中の、あの幸福そうな表情に表れているのだろう。すべてを受け入れたうえで、誰にも必要以上に気を遣わず、自分の心に正直に、対象への愛を宣言する。これが「オタクがもっとも輝く姿」なのではないか、と思った。
「オタクであること」「フィクトセクシュアルであること」は、何も悪いことではない。だからこそ、誰にも気を遣わずに宣言していくことが、劣等感を抱えずに生きるうえで大切だ。
また、受け取る側の考えも重要だろう。何かを公表された際に否定してしまうのは、つい「自分の常識」に縛られてしまい、常識外の出来事を許せないからだ。しかし、それでは「自分の世界」はどんどん狭くなってしまう。
イメージできないことに出合ったとき、「おかしいだろ、おい」と否定するのではなく、「そういった考えもあるんだな」と受け入れる。すると、受け取る側としても優しくなれる。こういったコミュニケーションの先に「みんなが幸福に生きられる場所」が生まれるのかもしれない。
(取材・文/ジュウ・ショ)