料理研究家の草分けとして、NHK『きょうの料理』などで活躍された鈴木登紀子さん。2020年12月、96歳で逝去されてから一周忌を迎えようとしています。ときにピリリと辛口、ときにユーモラスな“登紀子ばぁば”が遺した言葉とレシピを振り返ります。
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料理研究家の先駆けが遺したのは日本人としての暮らしの心得
自宅で開いた料理教室が評判となり、46歳にして料理研究家としてデビュー。NHK『きょうの料理』では、“ばぁば”の愛称と上品で柔和な語り口で人気を博し、40年以上も人気講師として活躍。生涯現役を貫いた鈴木登紀子さんが2020年12月28日、肝細胞がんのため、東京都内の自宅にて96歳で逝去した。
生前「食べることは生きること。生きるためにはしっかり食べることが大切」と語っていた登紀子ばぁば。90歳を過ぎてなお食欲は旺盛で、「もっとおいしいものを食べたいわ」という気持ちこそが生きる原動力、長生きの秘訣(ひけつ)と語っていた。
そんなばぁばが私たちに遺(のこ)してくれた“言葉”から、女性が輝く生き方をひもときたい。
結婚を機に上京、専業主婦に「得意なこと=料理の才」が開花
1924年、青森県八戸市に生まれた登紀子さん。母は料理や裁縫などの家事が得意で、行儀作法などを厳しくしつけられ、料理も母から手ほどきを受けた。
太平洋戦争終結後の1947年、22歳のときに結婚を機に上京。同居することとなった夫の姉の家には、青森では見ることのなかった洋風の調理台が備わり、栓をひねれば水が出てきたのには驚いたという。義姉から東京での暮らし、婚家での生活習慣などを教わりながら、戦後の混乱期を乗り越えていった。
義姉は料理も上手で、今まで登紀子さんが知らなかった洋食の「ムニエル」を教えてくれたりと、新婚時代をワクワクとした気持ちで過ごしていた。結婚して初めての正月には、夜遅くまでおせちの準備をしている登紀子さんに、夫がふいに「楽しいかい?」と声をかけてきた。「楽しいわよー」と即答したときに初めて「お料理をしているとき、私は楽しそうなのね」と気づいたという。
「子どものころからこれまで得意なものはなかった。けれど料理をしているときにこそ、自分が心から楽しめて、自分らしくいられるのかもしれない。そう気づけたことが人生の転機となりましたね」。勉強でも職業でもない、ふだんの暮らしのなかに人に誇れるものがあった。どう転ぶかわからないのが人生というものなのだ、とのちに語っている。
46歳で料理研究家デビュー! 女性は何歳からでも輝ける
夫婦は3人の子どもに恵まれ、専業主婦として忙しくも幸せで充実した日々を送っていた。子どもたちには「勉強しなさい」と言ったことはない。自身も親から言われたことがなく、「今、生きることに一生懸命になりましょう」という姿勢を大切にしながら日々の暮らしを楽しんだ。その子どもたちもそれぞれに自分の好きなことを仕事にし、よき家庭人となったことで、「自分の子育ては間違っていなかった」と振り返った。
その後、登紀子さん自身に大きな転機が訪れる。料理研究家としての道だ。そもそも料理を教えるようになったのは、いわゆるママ友が遊びに来たときに出した料理を「おいしいから教えてちょうだい」と言われたことがきっかけだった。
自宅の台所で料理教室を始めたところ、生徒がどんどん増え、その評判はテレビ関係者にまで及ぶほどに。46歳にして料理研究家として本格的に料理番組に出演。NHK『きょうの料理』の講師など、その後40年以上の長きにわたり、“ばぁば”の愛称で人気を博した。
テレビや雑誌の仕事を多く引き受けるようになり、自宅で撮影をしたあとでも、夫が仕事から帰るまでにはきれいに片づくよう心がけていた。最愛の人が帰ってくるときには、夕食の支度をととのえて「お帰りなさい」と迎えてあげたいと思っていた。夫も、登紀子さんが楽しそうに料理の仕事をしていることを心よく思っており、雑誌の編集者などから「パパさん」と呼ばれ慕われていた。
「家族の理解とタイミングがあれば、女性の仕事は何歳からでも始められるはず。ライフスタイルがさまざまとなった世の中で、もちろん外で働くのもいいでしょう。でも、今は家族のために暮らしを大事にして機嫌よく過ごすという時間があってもいいのではないかしら。何事もムリせずあせらずに。“人生100年時代”ですから、誰もが自分の特技を生かして仕事をし、助け合う世の中になれば、すばらしいことです」
90歳を過ぎても活躍した登紀子さんのそんなメッセージは女性の先輩として胸に響く。
2009年、64年の年月を共に過ごした夫に先立たれ、独居生活を5年楽しんだのち、娘家族と同居。「九州、東北から通ってくださる生徒さんがいる。こんなありがたいことはないわ」と料理教室を定期開催、メディアに出るのも「お声がかかるうちはぜひ」と好奇心と行動力はとどまるところがなかった。
亡くなる数年前には健康保険証に、ある紙を挟んでいつも持ち歩いていた。「根曳きの松」の絵柄のメモ用紙に、「延命無用 チャーチャン」と書き記したもの。
娘や孫に「チャーチャン」と呼ばれていた登紀子さんの家族へのメッセージだ。自分の最期を思うとき、病院で意識もないままたくさんの管や器機につながれて生きるのではなく、自然にこの世とさよならして、あとは家族を見守っていたい。そう語っていたように静かに逝去。生前、夫と建てた駒込の光源寺の墓に眠り、まもなく一周忌を迎える。
遺言レシピ(1)やさしいスープ ばぁば風
子育て中によく作ったというスープ。翌朝はごはんを加えておじや風にしても。
〈材料・4人分〉
ベーコン(ブロック)…200g、生しいたけ…4枚、セロリ…50g、じゃがいも…中2コ、にんじん…50g、たまねぎ…1/2コ、パセリ…少々、だし…カップ4、塩…小さじ1、うす口しょうゆ…小さじ1、酒…大さじ1/2
〈作り方〉
【1】ベーコン、にんじん、じゃがいも(洗って皮をむく)、たまねぎ、生しいたけ、セロリ(筋を取る)、それぞれを1cmほどのさいの目に切る。
【2】じゃがいもとにんじん、セロリは1度水に放してざるにあげる。
【3】鍋にだしとセロリ以外の野菜、ベーコンを入れて強火にかける。7~8分間煮てから中火にし、セロリと調味料を加えて7~8分間煮る。
【4】器によそい、パセリを散らす。
遺言レシピ(2)コンビーフの混ぜご飯
ばぁばの大好物の缶詰ストックで華やかなワンプレートが完成。
〈材料・2人分〉
◎コンビーフの混ぜご飯
白飯…200g(茶碗2杯分)、コンビーフ…50g、セロリ…5cm、しょうゆ…小さじ2
◎おひたし
ほうれん草…1/2わ(150g)、だし…カップ1/2、うす口しょうゆ…大さじ1/2、糸がき…少々、いちご…2コ
〈作り方〉
【1】ほうれん草は水洗いをして根元をきれいにする。塩少々(分量外)を加えた熱湯でゆですぎないように、2~3株ずつゆでて冷水に放す。水の中でふりながらそろえて水けを絞り、3cm長さに切る。バットにだし、うす口しょうゆを合わせてほうれん草を浸し、そのまま冷蔵庫で冷やす。いちごはへたを取って縦2つに切る。
【2】コンビーフは粗くほぐす。セロリは筋を取り、3~4mm角のあられ状に切る。
【3】炊きたてのご飯をボウルにとり、コンビーフを散らし、しょうゆをふって手早く混ぜたら、セロリを加えて軽く混ぜる。ご飯を丸い器で型抜き(抜くときに型を湿らせると抜きやすい)し、汁けを軽く絞った【1】のほうれん草のおひたしに糸がきを添えて盛る。いちごを添える。
(取材・文/松家寛子 写真/工藤雅夫)
《PROFILE》
鈴木登紀子 ◎日本料理研究家。1924年、青森県八戸生まれ。自宅で始めた料理教室をきっかけに、46歳で料理研究家に。1970年から40年以上、NHK『きょうの料理』に講師として出演。“ばぁば”の愛称で人気を博す。2020年12月28日逝去。