今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1970年、80年代をメインに活動した歌手の『Spotify』(2023年5月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
今回も、ピンク・レディーのSpotifyでの人気曲を、ケイこと増田惠子(以下、「ケイ」)とともに第4位から振り返っていこう。ちなみに、2023年前半でのピンク・レディーの月間リスナーは毎月12万から13万人、うち国内比率が9割前後となっている。
「ペッパー警部」の初動は大苦戦、悔しい日々を乗り越えられたワケは?
Spotify第4位は、1976年のデビュー曲「ペッパー警部」。8月25日発売だが、実際にオリコンTOP10入りしたのは同年の11月29日付けと、およそ3か月もかかっている。発売2か月前からキャンペーンで全国を回っていたにもかかわらず、初登場は99位、しかも2週目は103位に落ち、翌週78位に復帰するも、TOP50入りすら発売から8週目(48位)だったのだ。
「それは驚きでもなんでもなく、まったくの事実です。そのころ、オリコンでのシングルランキングを毎週とても気にしていました。なぜなら、この『ペッパー警部』をいただいたとき、まさしく自分たちが望んでいたソウルフルな楽曲で、“これは絶対ヒットするはずだし、しっかりと売らなきゃ!”と思って、どんなに多忙なスケジュールでも頑張っていたんです。けれど、なかなか上位にならなくて、事務所に立ち寄るたびにランキングの数字を見ては一喜一憂を繰り返していました。
デビュー前から、寝ていないのが当たり前になりましたが、8月と遅いデビューの中、どうしてもその年の新人賞レースに入り込みたいってみんな必死だったんです。確か10月に開催された新宿音楽祭で『銀賞』をいただいたのをきっかけに、順位がグンと上がり始めた気がします」
そんな大変な状況を乗り越えたモチベーションは何だったのだろうか。
「当初、レコード会社の大半の方からまったく期待されていなかったのが悔しくて。そんな中、同じレコード会社の(ディレクターだった)飯田久彦さんと事務所の相馬一比古さん、そして阿久悠先生、都倉俊一先生、土居甫先生の5人は、強い結束力のもと応援してくれていたので、なんとか期待に応えなきゃ! という思いでした。実際、飯田さんは『スター誕生!』(日本テレビ系のオーディション番組)で私たちに(スカウトの意向を示す)プラカードを挙げたことを社内で責められて、その後も、曲が……、振付が……と、何かと反対されていたそうですから」
なお、ケイは当初A面候補だった「乾杯お嬢さん」(Spotify第23位)も、とても気に入っていたと言う。
「インパクトがあるのは『ペッパー警部』ですが、私たちの歌唱力を知ってもらえるのは『乾杯お嬢さん』。シュープリームスのようなコーラスグループへの憧れもあり、『乾杯〜』のほうがユニゾンもハーモニーも聴かせられるという可能性もあっ
「ウォンテッド(指名手配)」、ケイの印象的な低音パートの誕生秘話
次に、Spotify第5位は「ウォンテッド(指名手配)」がランクイン。当時はオリコンで12週連続1位になるほどの大ヒットとなり、売り上げもピンク・レディーの中で3番手ながら、カラオケ人気ランキングは6番手と、それよりは低い。曲調が次々に変わる複雑な展開や、ミーとケイのソロパート部分の音域の高低差で四苦八苦する人が多いからだろうか。特に、ケイが歌う《ある時 アラブの大富豪》という低音パートはインパクトが強く、全盛期に彼女たちが出演していたシャンプー、“シャワラン・ビューティー”のCMのキャッチフレーズ、(ミーが高音で)“髪いきいき!”(ケイが低音で)“つやつや”という風にデフォルメしてモノマネされるほどだった。
「あの部分は、都倉先生に言われたとおりにやっただけなんですよ~。素直に低い声でやってみたら、“ケイ最高だよ、これ、いただきー!”と言われ採用されましたが、なんで言うことを聞いちゃったのか……いまだに後悔しています(笑)! 実際、(その前々作である)『カルメン’77』を歌っていたころにツアーも始まり、喉にポリープができて声が出づらくなってしまったんですね。それでも仕事を続けていたら、(アニメ『チキチキマシン猛レース』に出てくる)犬のケンケンみたいな笑い声になってしまっていたんです。だからこの曲ではなおさら、すごい声に仕上がってしまったんですね」
現代でも大人気の楽曲が続々、本人にとって難易度が高い曲は?
そして、Spotify第6位から第10位は、「S・O・S」、「透明人間」、「モンスター」、「カルメン ’77」、「カメレオン・アーミー」と、いずれも’76年から’78年のあいだにオリコン1位を獲得したヒットシングルが並んだ。
「どの歌にも思い入れはありますが、歌い踊っていて最高に苦しくなるのは第10位の『カメレオン・アーミー』。第8位の『モンスター』も激しいですね。
特に『カメレオン・アーミー』はアップテンポで、
とはいえ、このもっとも大変な『カメレオン・アーミー』は、再結成後のピンク・レディーのコンサートはもちろん、近年のケイのソロ・コンサートでも頻繁に歌われる曲となっている。
「当時は、喉をつぶして声を出しにくいし、おまけに踊りで体力も消耗するし、とても大変でしたが、今ではノリノリで楽しく歌っています。ソロのときでも歌うのは、みなさんが“ピンク・レディーの楽曲が聴けてよかった”、と言ってくださることが多いからです。この『カメレオン・アーミー』は自分にとっても、“まだがっつり歌って踊れるかな……”という、体力測定コーナーになってますね(笑)。まだまだ大丈夫! って確信するために歌っています!」
そして、これらに続くSpotify第11位には、すでに解散が決まっていた’80年末に発売された「リメンバー(フェーム)」、しかも、30年後の再結成でよりパワフルに生まれ変わったアルバム『Innovation』バージョンがランクイン! この曲は、もともと世界的にヒットした映画『フェーム』の主題歌のカバーだが、Spotify調べによるとリスナーの9割以上は日本で、決して(シティ・ポップ・ブームのような)海外リスナーによるものではない。
「『リメンバー』は当時、歌っていて正直つらかったです。《やるだけやった、すがすがしいほど後悔はない》という歌詞がとてもリアルで、青春まっただ中にいた私には悲しすぎて……。でも、『Innovation』で歌ったときはまったくそんなことはなく、青春を振り返るのに十分な時間がたっていたので、改めていい曲だと思って歌えましたね」
全米で勝負をかけた「KISS IN THE DARK」!アルバム曲も国内で人気に
さらに、第13位は’79年発売の英語曲「KISS IN THE DARK」で、こちらも『Innovation』バージョンだ。本作は全米に進出し、本場のビルボードに、坂本九以来2人目となるTOP50入りの最高37位になったことでも話題となったが、当時も、このニュー・バージョンでも、英語で実に軽やかに歌っている。
「この曲は、歌手として、ピンク・レディーとしてのプライドをかけていたので、本当に印象に残っています。この曲を通して“日本にはないピンク・レディー”を売り出そうとしていたんです。それまでの、ふたりの声が重なったハーモニーやパワフルな歌声をほぼすべてシャットアウトし、ウィスパーで歌うというのも初めての試みでした。レコーディングのマイクにはガーゼのようなもがを何重にも巻かれ、セクシーな感じが出るように工夫されていましたね。自分でも“これ、私の声?”って驚いたほど、ボーカリストとしても成長できました」
本作を含む海外進出アルバム『ピンク・レディー・インUSA』からは、TOP50に5曲もランクインしている。
「アルバムの曲が入っているのはうれしいですね! 『Love Countdown』はソウルフルで大好きですし、『Love Me Tonight』もデビュー前、浜松のボーカルスクールに通っていたころ、アコースティックギターの伴奏で練習していたので、そのときに培ったリズム感がベースにあります。ふたりの声質がまったく異なっているのに、歌声が重なったときの倍音のすごさに気づいたのも、このころでした。当時、同じレコード会社だった(バンドの)スペクトラムの方からも、“ピンク・レディーって驚異のユニゾングループだよね!”ってお褒めの言葉をいただけたんです! ボーカルスクールの先生が、(オリジナル版を歌っている)トム・ジョーンズが大好きで、私たちも影響されていたので、このときカバーできて、とてもうれしかったです」
カバー曲「勝手にしやがれ」「どうにもとまならい」にまつわる思い出
続くSpotify第14位と第16位には、沢田研二の「勝手にしやがれ」と山本リンダの「どうにもとまらない」というカバー曲がランクイン! これは、阿久悠の作家生活10周年を記念して、当時のビクター所属アーティストが総出となってカバーしたレアなオムニバス盤からの配信曲だが、ただでさえ寝る間もなかったふたりは、覚えているのだろうか。
「『勝手にしやがれ』を歌った記憶、私はないですね……。ただ、私たちをスカウトしてくださった相馬さんが、もともと渡辺プロダクションにいらしたので、沢田さんからも“相馬ちゃんが君たちのマネージャーなんだよね”って親しくしていただきました。
リンダさんの歌をカバーしたことは、よく覚えています。阿久先生と都倉先生のコンビによるヒット曲には、どこかピンク・レディーへとつながる匂いがするので、この『どうにもとまらない』のレコーディングのときには、不思議な高揚感がありました」
さらに、第18位には’80年のシングル「愛・GIRI GIRI」がランクイン。当時、アメリカでの仕事が忙しく、日本のテレビではほとんど歌っておらず、初めてオリコンTOP50(最高58位)に入らなかったシングルだが、Spotifyでは最後のTOP10ヒットとなった「波乗りパイレーツ」とほぼ変わらぬ人気。松田聖子の初期楽曲の多くを生みだした小田裕一郎によるメロデイーも、キャッチーで覚えやすいからだろうか。
「レコーディングはもちろん100%の力で歌ったはずなんですが、テレビでほとんど歌っていないと思います。でも、再結成後に歌ってみると、ファンの方から“ハーモニーのよさや歌のうまさがよくわかってうれしい”って言っていただける曲でもあるので、今も多くの方々に聴いてもらえているのはとても光栄です。『波乗りパイレーツ』も軽快でノリがよくて好きだったな~」
こんな風に、当時あまり注目されなかった楽曲の中にも、Spotifyでの人気曲が多いことがわかる。ケイは、こうしてまじめな音楽の話をしながらも、「長丁場の撮影、お疲れさまでした」と声をかけると、
「とんでもないです! いろいろ崩れる前に撮影できて楽しかったです(笑)」と、サラリと三枚目風のジョークも飛ばせるあたり、さすが昭和のテレビで鍛えてきたスターの貫禄を感じさせた。次回、ラストとなるインタビュー第3弾では、オリコン音楽DVDランキングで週間7位となったBOX『ピンク・レディー・クロニクル』や、増田惠子としてのソロ活動についても語ってもらう。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
増田惠子(ますだ・けいこ) ◎1957年、静岡県生まれ。’76年にピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。「UFO」「渚のシンドバッド」ほか数々の人気曲で一世を風靡し、’81年に解散。同年11月、中島みゆき作詞・作曲の「すずめ」でソロデビューし40万枚の大ヒットに。その後、女優として映画、ドラマでも活動。’11年にはピンク・レディーが再始動し、全国22か所でコンサートを開催、翌年’12年にはソロ・デビュー30周年記念アルバム「カラーズ」を発売。10年後の’22年には40周年記念アルバム「そして、ここから・・・」を発売した。現在も歌手活動をはじめ、テレビ番組、ラジオ番組への出演など、精力的に活動中。
◎増田惠子 公式Instagram→https://www.instagram.com/keiko_masuda_official/
◎ピンク・レディー 公式Twitter(ビクター)→@PinkLady_VICTOR
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