ダンサーであり、脚本家・演出家・振付家としても多くの舞台にかかわり、ショービジネスの第一線で活躍し続ける稀有なアーティストが玉野和紀さんだ。
2023年2月8日から2月28日まで東京・シアタークリエで、その後も静岡・大阪・埼玉にて上演される『CLUB SEVEN 20th Anniversary』ではトータルクリエイターとして、脚本・構成・演出・振付を担当し自らも舞台に立つ。『CLUB SEVEN』シリーズでは初演から演出・構成を手がけ、今回の公演で20周年を迎えた。ミュージカル界のトップ俳優が集まり、ダンス・歌・コント・ミュージカルが混ざった楽しいショーが繰り広げられるステージ。
そこに込められた、ショービジネスへの思いをインタビュー。舞台デビューから約40年、快活な語り口にも舞台の現場ならではの知見もうかがえた。
上質な大人のショーを作りたいと思い立って20年
──2003年の初演以来、『CLUB SEVEN』シリーズは20周年になりました。
「毎回が勝負で“これ以上のものはできないだろう”という意気込みで作ってきて、気づいたら20年続けることができました。今回はその集大成として、過去の作品の名場面で構成して、幕が下りるまでの約3時間は現実を忘れてお客様に目いっぱい楽しんでもらおうと、その一心です」
──もともとこのステージはどのように始まったのでしょう?
「品川プリンスホテルのクラブeXというホールで何かできないか、というお話がきっかけでした。クラブeXの広さや雰囲気はミュージカルやお芝居よりも、エンターテインメントショーが似合うと思ったんです。
出演者は7人くらいがちょうどいいかな……というアイデアで『CLUB SEVEN』 の名前になったんです」
──ミュージカルあるいはお芝居だけというわけではなく、出演者の方々が歌にダンスはもちろん、コメディ要素のコントも演じるなど「ごった煮」のような多彩なショーですね。
「僕もショーが好きで、アメリカで見たような上質で大人なショーを日本でも作りたいなと思っていました。ダンスをメインにしながらも、それにミュージカルや軽演劇の要素も加えて、エンタメを全部詰め込んだステージにしてきたのが『CLUB SEVEN』です。
2022年の公演は、地球防衛軍のイメージを込めて衣装をSFチックにしてみたんですが、これは“コロナから世界を守る”がインスピレーションになってやってみました。そういった遊び心も取り入れています」
あえて出演俳優の殻を破らせてみたい
──俳優は玉野さんのステージや、もちろん『CLUB SEVEN』にも何度も出演してきた方々が集まりました。ミュージカルの第一線で活躍してきたみなさんです。
「いちばん付き合いの長い西村直人さんとは、もう30年以上の仲になります。吉野圭吾さんや東山義久さんとも20年来の共演関係になりました。一緒に仕事をしてきて、いい才能を持っているな、と思った人に声をかけてきて、カンパニーの輪が広がってきました。
演出家がイメージしていることを的確に理解し、ふくらませてくれる役者がいるとすごくいい舞台になるし、表現できることも広がります。それは演出と俳優、双方の立場を経験した分、わかるようになりました。だから気心知れた仲間ができて、『CLUB SEVEN』でも僕の価値観をわかってくれるのはすごくありがたいです」
──その、玉野さんが大切にしている価値観、とは何でしょうか?
「舞台に出ている一人ひとりを光らせる、ですね。普段ミュージカルをやっている俳優でも本気でコントやインプロ(即興)に挑戦する。他の舞台でなかなかそれらの経験がない分、お客様を楽しませようとひと味違う顔を見せて輝く、その瞬間を楽しんでほしいと思います。
俳優として経験を積むと、ある程度イメージが固まってくることがある。すると、ビジネス的にはそのイメージどおりの役を演じていてもらうほうが無難なのかもしれませんが、イメージという殻を破って一生懸命演じている姿をじっくり見てほしいんです」
高専を卒業し、ゼロから俳優の道へ。渡米しダンスも学ぶ日々
──おひとりで多彩な活躍を続けてきましたが、国立宇部高専の化学科卒業という経歴もユニークですね。なぜ舞台を志したんでしょうか?
「実は高専を卒業しても、就職しなかったんです(笑)。そのころ中村雅俊さんが主演の『俺たちの祭』(1977年)というドラマが放送されていて、劇団員を描いた青春ドラマでした。それを見て“こんな熱い人生があるんだ!”と影響されて上京し、俳優の養成所に入所したのが始まりでした」
──最初はショーのダンサーというより、舞台俳優に興味があったのですね。
「養成所では定期的に試験があって、通らないと強制的に退所されられる環境でした。当然、試験に通るよう演技を学んでいたんですけど、“ダンスもうまいからミュージカルやってみたら”とすすめられたのがミュージカルとの出会いでした。
これが22歳のころでしたが、故郷の山口ではそういう舞台を観る機会はほとんどなかったんです。タップやジャズダンスもやって、ミュージカルとショー、どちらの舞台も並行して経験を積ませてもらいました」
──その後、ミュージカルダンサーとして活躍しつつアメリカに留学もされました。
「僕がダンサーになりたての1980年代は、今ほど男の人がダンスができる環境も整っていませんでした。僕のような経歴は珍しいですね。バブル崩壊のころから、日本でダンスショーの数が減ってしまって。もう1回ダンスを勉強したいと考えていったん事務所もやめて、ニューヨークでダンスを勉強しながら舞台にも出させてもらっていました」
──演出や脚本を始めた動機はどんなものでしたか?
「オリジナルの舞台が作れないかな、と留学体験も経て思い始めたことでしょうね。ニューヨークで舞台に立った経験なども“すごい!”と言ってもらえる反面、日本独自のショーやミュージカルはというと、欧米に比べてまだまだというイメージを持たれていて。
自分は体格がそこまでよくはないし、日本のエンタメに何ができるかと考えて、作り手になろうと思いました。舞台に立つ身として自分なりにアイデアも溜まってきて、他の誰のアイデアでもない、自分の発想でできるオリジナリティにこだわって、なおかつレベルの高い舞台が作りたい。それなら自分でやろうとなりました」
──ダンサー・俳優だけでなく、そうした裏方の仕事も兼ねることに大変さはなかったんでしょうか?
「自分のアイデアを形にするなら、演出も振付も脚本も全部僕ひとりでやるほうが手っ取り早いし、そしてそのほうがタダだし(笑)。もちろん気心通じた役者のみなさんに助けられているのは大きいですね。僕ら作り手が思うことをツーカーで理解してくれる役者がいると、こちらもスムーズに仕事ができます。
というか、いい舞台ができるか、満足いく表現ができるかは役者との信頼関係にあるといっても過言ではないです。あとはもう、本を読んで勉強もしましたが、現場でノウハウを身体で覚えてここまできた感じです」
──役者との信頼関係が大切なのはもちろんですね。コミュニケーションで気にかけていることはありますか?
「演出家や脚本家と俳優、上下関係があるわけはないけれど、個人的には否定から入られるとちょっとやりづらいなあと思ってしまいます。だから僕は俳優の立場でいるときも必ず肯定、それも即レスのような感じですぐ答えを返していくようになりました。
そして、みんなの意見を聞きすぎてもいけないけど独りよがりはダメで。ひとつの公演を作るにあたって、絶対にお客様に伝えたいことや譲れない価値観というのは必ず持っています」
──そのようにして、20年以上にわたってショービジネスの第一線で仕事を続けてこられたんですね。
「僕が演出や脚本や振付を学び始めたころは、舞台でもひとつの道を究めるのがよしとされる時代でした。二足のわらじを履く何でも屋はあまり好かれていなかったんです。でもちょうど同世代の宮本亜門さんも演出や振付で活躍するようになった時期で、彼の活躍にも触発されてモチベーションになったと思います。
僕も若いころはまだまだ技術も拙かったかもしれませんが、客席を楽しませたいというパッションだけは一貫していました。演出家・構成・振付・俳優などひとりで何役もこなしますが、舞台業界の人や仲間はやはり大好きで、彼らに助けられて僕の作品があります」
ダンスの「復権」を!
──玉野さんが俳優を目指した時代と比べて、現代の日本のショービジネスはどう変わりましたか。
「実は、ダンスやショーの興行が減っていることが気になります。僕の若いころはセクシーで色っぽい女性のダンサーが活躍するようなショーやそれを上演する劇場もありましたし、2000年代ごろまでダンスや歌をメインの出し物にするショーがありました。パリの『ムーラン・ルージュ』やニューヨークで上演されるレビューをイメージしてもらえればと。
ところが、ダンスのジャンルも多様化して、例えばシアター系のダンスを目指す人が昔より減ってしまっています。ただスキルを見せるのではなく、舞台の上で感情を表現できる、観客を楽しませるトップダンサーでも、知名度があまりないのが現状です。ダンスで舞台業界のスターに上りつめる存在が出てくれば盛り上がります。
昔に比べると日本のミュージカルはすごく充実してきて、歌える俳優さんも増えてレベルが上がっているのですが、上質な大人のショーがもっと見たいなあとも思っています」
──確かに、舞台に詳しくないとミュージカルよりもショーはちょっとわかりにくいと思われてしまうかもしれません。
「芝居だと役の名前で出ていますが、ショーは役者の本名で出演します。だから、その役者の本当のスキルが試されるのでこちらも緊張しますね。それに作品としても評価しにくいというか、きっちりした台本がない分、このシーンは誰が作っているんだろう? となって、作り手の評価にもつながりにくいのかもしれません。
ショーは衣装やセットでお金もかかるのと、ダンスホールのような空間も減って、大人数で稽古ができる場も限られている難しさもありますね」
──それでも、玉野さんが手がけてきた『CLUB SEVEN』のようなステージが、ショーのレベルアップに貢献してきたと思います。
「1980年代にブロードウェイで上演されていた『ソフィスティケイテッド・レディース(Sophisticated Ladies)』というミュージカルレビューがありました。『CATS』と同時代の作品ですが、これを観て感動して、振付家の方に会いに行ったこともあります。
やっぱり僕の脳裏には長年、そういった洗練されたショーへの憧れがあって、それをステージで形にしてきました。『CLUB SEVEN』で一緒に出演してきた仲間もおじさんになってきましたし(笑)、これからも新しいエネルギーを持った役者さんも迎えて、僕が経験してきたような芝居やミュージカル、そしてダンスを思う存分に表現できる公演を作っていきたいと思います」
(取材・文/大宮高史)
《PROFILE》
たまの・かずのり 山口県出身。国立宇部高専化学科卒業後、劇団俳協等を経てミュージカル・ライブ・ショーなどに数多く出演。脚本・演出・振付も手がけ、2009年には『THE TAP GUY』で第34回菊田一夫演劇賞を受賞。その他、2012年度ミュージカルベストテン振付賞受賞、2019年度ミュージカルベストテン演出家賞・スタッフ賞ノミネート。2021年『NEW YEAR’S Dream』(明治座)、2022年『ぐれいてすと な 笑まん』(明治座)などで演出・振付を担当し、トータルクリエイター公演『CLUB SEVEN』は2023年の『CLUB SEVEN 20th Anniversary』で20周年を迎えた。
●作品情報
『CLUB SEVEN 20th Anniversary』
脚本・構成・演出・振付:玉野和紀
出演:玉野和紀、吉野圭吾、東山義久、西村直人、原田優一、中河内雅貴、町田慎吾、上口耕平、中塚皓平、大山真志、香寿たつき、北翔海莉、彩吹真央、愛加あゆ、実咲凜音、音波みのり
2023年2月8日(水)~2月28日(火) 東京 シアタークリエ
3月7日(火)静岡 静岡市清水文化会館マリナート 大ホール
3月11日(土)・12日(日)大阪 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
3月17日(金)埼玉 ウェスタ川越大ホールにて凱旋特別公演も開催
※出演スケジュールについては公式サイトにて
https://www.tohostage.com/club_seven