「テレビで“離婚しました〜”と伝えて、涙が出そうでもニコニコとしゃべっているのがつらかった。お笑いの場が多かったから、よけいに明るく振る舞わなきゃいけないじゃないですか。もちろん、そのほうが周りの人たちにも、いじっていただきやすいしね。だけどあの時期、何度も倒れて病院に運ばれたの。実は、ものすごく疲れていたんだと思います」
現在10歳になる娘には、これまで100回以上「なんでうちにはパパがいないの?」と聞かれた。
「お父さんとお母さんと子どもがいるっていう風景を見ると、すごく苦しかった。そういう場面に遭遇するたびに、娘にも問われる。娘には“パパとママは、とてもあなたを愛している。けれども、一緒にいるとケンカしてしまうから、別々に住んでいる。でも、何があっても味方だし、あなたのことを2人ともいちばんに考えているから”と、何年も何年も言い続けてきてはいますね」
自分と子どもを褒めることが難しかった
離婚してから自分を見つめ直すなかで、気づいたことがあるという。
「私は、自分の孤独を男性で埋めたかった。もちろん、相手に“埋めてほしいんです”と言って結婚したわけじゃないけれど。別れてからは、そもそも何かで埋められないんだ、と思い始めました。そして、もし孤独感を薄められるものがあるとしたら、それはお金でもない、仕事でもない、男性でもない。自分なのだと。
同時に、自分の自己肯定感の低さにも気づいたんです。私は、他者からの評価を気にする“他人軸”と、己の感性を信じて生きる“自分軸”だと、前者を基準にして生きているから、しんどいんだと思いました。お笑いをやっていたときも、勝手に空気を読んで“ここで怒るべきだ”とか、“周りの迷惑にならない動きをしよう”と考えてしまっていたし……」
自己肯定感が低いままではダメだ、と強く感じたのは子育てで行き詰まったとき。そこで青木さんは、生き直すことを決意した。
「思えば私は自分で自分を褒めたことがないから、何よりも大事な子どもを褒めることが、すごく難しかったの。なんだか毎回、力んでしまって。それで、自分への愛が足りないままでは、子どもを単純に“ただ愛する”ことすらできないのでは? と気づいて“生き直さなきゃ”って思ったんです。
それから、いろんなことに挑戦しました。自分の嫌なところと向き合い、娘の同級生の父母たちと悩みを共有し合って、泣きながら子育てをしてきました。娘に対して、変に気張らずに愛を捧ぐことは、私よりも前の旦那さんのほうができていたので、娘のためにも彼と良好な関係を保ちながら、ご近所やママ友やパパ友、学校とも連携をとりつつ“みんなで育てる”っていうかたちをとろうと決めました。だから元夫とは学校で会ったりするし、娘を預かってもらったりもしますよ」