生きづらさが内面の表現に向かわせた
ダリは18歳で名門のサン・フェルナルド美術アカデミーに入学するが、習うのは昔ながらの伝統的な手法ばかり。「もっと新しいことしたいんですけど」と、老舗企業の新卒社員みたいな不満を抱いていた。
そんな尖り切っていたダリは、在学中に印象派ピカソのキュビスム(立体主義)などの前衛的な表現に影響を受けつつ、バルセロナで初の個展を開催して話題に。さらには教授に向かって「ホントに悪いけど、私は教授よりはるかに賢いのでテストは受けないぜ」と告げて中退。芸術の都・パリを訪問する。
当時のパリで流行っていたのが『シュルレアリスム(超現実主義)』。よくお笑いで使われる「シュール」の語源になった芸術運動だ。シュルレアリスムは「無意識的に作品をつくること」を目指した。
例えば、シュルレアリスムの創始者である詩人のアンドレ・ブルトンは「自動筆記」といって、ババーッと超高速で書き連ねることで、思考をせずに言葉を紡いでいた。「カッコウを飼ってみたいけど、月に4、5回は弁護士になるので、まだ岐阜で踊ったことがない」といった感じ。脳で考えないから支離滅裂だけれど「無意識下には存在する言葉」が出てくるわけだ。
つまりシュルレアリスムとは、「無意識」というフィルタを通して、アーティストの心のなかや人生で影響を受けたことを、そのまんま正直に表現するという考えなのである。
これだけのコンプレックスを持っていたダリが、人の内面を突き詰めるシュルレアリスムにハマったのは、自然な成りゆきだったと言っていいだろう。
彼は無意識を表現するために「夢」を使った。肘かけ椅子に座って、指の間にスプーンを挟んだまま眠る。うとうとして酩酊状態になると、スプーンが落ちてアラーム代わりになる。まどろみのなかで見た映像を、キャンバスに描いていたんです。
また、彼はシュルレアリスト時代に「偏執狂的批判的方法」を発明する。1つのイメージでも、記憶や妄想というフィルタを通すことで、人それぞれで見え方が違うという絵画理論だ。
例えば「柴犬の写真」を見たとき、過去に柴犬を飼っていた人は「子どものときを思い出すわぁ」などと連想するだろう。結婚を決めた彼氏が柴犬を飼っていたら「休日は朝ごはんを食べて、近所の公園で散歩して……♪」と、理想の暮らしをイメージするかもしれない。ダリは「育ってきた環境によって捉え方は千差万別だ」と、SMAPの名曲『セロリ』の歌い出しみたいなことを言った。
ダリはジャン・フランソワ・ミレーの絵画作品『晩鐘』について「夫は帽子で股間を隠しているんだと思う」と解釈したという。 (ちなみにダリは『晩鐘』を「この絵、なんだかトラウマ呼び覚ましてくる。見れば見るほど萎える」などと言いつつ、こよなく愛していた)。
ミレー自身は「畑仕事中に聞こえてくる鐘の音に合わせて祈りを捧げている絵を描いたんだよ」と述べている。しかし、女性恐怖症でEDだったダリには無意識的にそう見えているんです 。
有名なダリの作品『記憶の固執』(これが、前述の“溶ける時計の絵”)も、偏執的批判的手法を用いて描かれている。ダリは溶けていくカマンベールチーズを見て「あっ、時計だっ……!」と連想した。
チーズ(終わりが“柔らかい”もの)を見て、時計(“硬くて”永続的なもの)を連想する。これもダリがEDにコンプレックスを持っていたことに由来しているのかもしれない。