大衆から承認されたダリの“心情”
美術好きなら「ダリといえばシュルレアリスム」というイメージを持つ方も多いかもしれない。しかし、彼は先述した創設者の詩人・アンドレ・ブルトンと喧嘩して、シュルレアリスムの団体からは追放されている。
その後、1934年に渡米。そこでダリを世間に売り出したのが愛妻・ガラだ。ダリは25歳のときにガラと出会う。彼は女性恐怖症のせいで経験もなかったが、10歳年上のガラの包容力にイチコロだった。ガラは緊張しすぎて笑いが止まらなくなったダリを優しく抱きしめ、勇気づけた。彼女は恋人であり、母でもあったのだ。
そして超優秀なマネージャーでもあった。実は彼女、ダリと結婚する前にポール・エリュアールという詩人と結婚していて、ポールを有名にしている。ガラは無名の若手アーティストをプロデュースする能力に長けていた。ダリは後年、ガラが亡くなった際に「人生の舵をなくした」と途方に暮れた。それほどまでに、ダリはガラにすべてを委ねていたのだ。
ダリはガラのマネジメントやプロモーションの甲斐もあって、アメリカで大ブレイクする。絵画だけでなくインテリアデザイン、演劇舞台美術の仕事など、とにかく大人気。ダリが作れば何でも売れた。
ダリの奇人っぷり、ナルシストぶりが発揮されるのは、特にこのころからだ。
「潜水服を着て講演会に登場し、しかも酸素供給がうまくいかず死にかける」「象に乗って凱旋門を訪問する」「“ははは、リーゼントだよ”とフランスパンを頭に乗せて取材にやってくる」「カリフラワーを詰めたロールスロイスでスピーチ会場にやってくる」「書店イベントで病院のベッドと偽医者・看護婦を配置し、自著を買ってくれた人に脳波のコピーをプレゼントする」など、どこからツッコめばいいのかわからないレベルのヤバい人となった。
マスコミはダリの奇行を報道し、世間的に彼は「天才すぎておかしな人」というキャラクターになるわけだ。
しかし、実はプライベートでは、まじめでおとなしい人であったそう。秋元康並みのキレ者だったガラの戦略も含めて、彼は「天才・ダリ」を演じていた部分も少なからずあったのではないか。
かつて、妹のアナ・マリアが『妹が見たサルバドール・ダリ』という、ダリの私生活を書いた暴露本を出したことがある。ダリは大激怒して妹に「もう俺の財産は相続させねぇ!」と絶交したほか、友人たちに「この本は読むなよ!」と手紙を送った。それほどまでに「素顔の自分」をさらけ出すことに抵抗があるのだろう。
彼は天才を演じまくった結果「毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。『サルバドール・ダリである』という喜びを」と発言するまでに至った。
幼少期から少年期にかけて「自己承認欲求」に始まり、コンプレックスを背負い続けたサルバドール・ダリ。逆境からスタートした彼は、最終的に世間から「ナルシスト」と言われるほど自己肯定感に満ち溢れた。
ダリの代名詞である「ナルシズム」はキャラクターだったのかもしれない。しかし、彼の名言に「天才を演じると、天才になれる」という言葉がある通り、逆境を跳ねのけて獲得した自己肯定は決してハリボテではなかったに違いない。
(文/ジュウ・ショ)
【PROFILE】
ジュウ・ショ ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、