漫画の原型を作った立役者たち

 さて、「漫画」という呼び名が定着するなか、いよいよ一枚絵の風刺画から抜け出して、今の漫画に近い表現が出てくる。その背景には岡本一平と、先述した北澤楽天という2人の人物がいた。

岡本一平

 岡本一平は「芸術は爆発だ」と発した岡本太郎のお父さんとして有名な人ですね。もともとは朝日新聞社の記者で、「漫画漫文」と名づけて、一枚絵の下に100字くらいの文章をのせるスタイルで描いていた。

 岡本一平が進化させたのが「コマ割り」の表現。彼は自分の作品を「映画小説」として、コマの移り変わりでストーリーが進んでいることを表現したのだ。つまり、映画のフィルムをヒントにして、コマ割りにストーリー性を持たせたわけである。

※写真はイメージです

 確かにいま見てみると、漫画のコマは映画のフィルムにめっちゃ似ている。岡本一平の功績は「コマと吹き出しでストーリーを進めていくスタイル」を定着させたことだ。

 そしてもう1人、岡本とほぼ同時期に漫画のアップデートを進めていたのが、北澤楽天だ。彼は先述したとおり、「コミックを初めて『漫画』と訳した」ことでも知られている。

 彼の最大の功績は「魅力的なキャラクター」を作り上げたことだ。ドジで愛嬌(あいきょう)のある中年「丁野抜作(ていの・ぬけさく)」や、東京の都会っぷりに戸惑う田舎者の「田吾作と杢兵衛(もくべえ)」、わんぱく少年「茶目と凸坊」などの人気キャラを生み出した。

北澤楽天『田吾作と杢兵衛の東京見物』

 コマ割りと吹き出しはもちろん、「マンガに固定のキャラクターがいて、お決まりの流れで笑わせてくる」というのが北澤楽天の得意分野であり、当時は発明だった。例えば今でいう『ドラえもん』であれば、「のび太という怠け者のキャラクターが、何かあるたびに泣きながらドラえもんに助けを求める」というようなキャラクターを構築したのである。