京都と東京・代官山に店舗のあるアメリカ・ニューイングランド地方の伝統焼き菓子のお店「松之助」オーナーの平野顕子さんは、45歳での専業主婦卒業から、渡米、女性実業家への転身、ニューヨーク進出の失敗、ひとまわり以上年下のアメリカ人との再婚など紆余曲折をへて、70歳を過ぎ、もっとも自然体な人生を手に入れました。

 その半生をつづったのが、書籍『「松之助」オーナー・平野顕子のやってみはったら! 60歳からのサードライフ』(主婦と生活社刊)です。出版を記念して、食のセレクトショップ「ディーン&デルーカ」とのコラボイベントが開催されました。そのレポートで語られた平野さんの言葉をお届けします。

47歳で昔からの夢だったアメリカ留学をかなえる

──「やってみはったら」というタイトルの理由は?

 京都弁なのですが、この言葉は、サントリーの創業者、鳥井信治郎氏の「やってみなはれ。やってみなわからしまへんで」(※京都弁ではなく関西弁)がもとになっています。あるとき、この言葉に出合って、私は大きな刺激を受けました。そして、いつの間にか「やってみはったら!」が私の人生のキャッチフレーズになっていました。

 自分の直観に従っていつも前を向いて進んできましたが、人生は決して順風満帆ではありませんでした。年を重ねて気づいたのは、人生は、さまざまな「縁」によって織り成されている、ということでした。成功も失敗も、やってみたからこその結果。つらい経験でも、何かのメッセージはきっとある。離婚したことも、決してムダではありません。その経験があったから、次の人生の指針ができました。「やってみはったら!」は、縁あるものとの関係を一歩先に進めていくためのエールです。

真剣なまなざしで人生を振り返る平野さん(写真右) 撮影/松矢英恵
イベントは大盛況。参加者は平野さんの明るさやチャレンジングな姿勢に背中を押されたという 撮影/松矢英恵

──離婚してアメリカ留学することとなったきっかけは?

 20代の初めから21年間、日本海に面した小さな田舎町に嫁いでいました。そのときは夫や義理の両親を支え、子育てをするのが自分の仕事だと思い、目立たないように生きてきました。普通のおばさんの生活です。当時の私はそれが嫌というわけではなく、これが結婚だと受け入れていました。

 2人の子どもが大学生になった45歳のとき、離婚を決めました。でも実は離婚するまで、働いたこともなければ、お金の苦労をしたこともなかったんです。娘に「アルバイトでもすれば、なんとかなるでしょう」と悠長に話したらあきれられて、そこで初めて現実に目覚めました。これから先どうしようかと考えたときに、青春時代のアメリカ留学の夢がよみがえってきました。そこからは一切の迷いなし、貯金でやり繰りしながら猛勉強して、47歳でニューイングランドにあるコネチカット州立大学のファインアート学部に入学しました。

孤独の中で自分と向き合ったら更年期の悩みは吹き飛んだ

──留学中のターニングポイントはどのような経験だったのでしょうか?

 同じ寮に暮らす中国人留学生が体調不良で亡くなるというショッキングな出来事がありました。そのときに「自分の身は自分で守らなきゃ」と、自立することの大切さを実感するとともに、強い孤独感にもさいなまれました。

「いったい自分はどんなことに喜びを感じて、どんな人間なのだろうか」、そこから目をそらさずに向き合っていると、少しずつ私という人間がわかってきて、「孤独は怖いことではなく、自分と向き合うチャンスなんだな」と実感しました。それは生まれて初めての経験でしたし、この経験は、紛れもなく私の人生の一大転機となりました。更年期と重なる時期でしたが、勉強して、自分と向き合っていたら、更年期の悩み自体も吹っ飛んでしまいました。

──留学中、ニューイングランドのアップルパイと出合われたきっかけは?

 留学中は、帰国後は漠然と「翻訳や通訳の仕事かな」と考えていたけれど、英語力を考えると難しいだろうと思っていました。講義を受けていたコネチカット州立大学の英文学のアナ・チャーターズ教授にそのことを話すと「ニューイングランドの伝統ケーキを学んだら? アメリカンケーキではインパクトがないから、ニューイングランドにフォーカスしたら?」とアドバイスされました。そのときに「それ、それ、それよ!」とメッセージが稲妻のように腑に落ちたんです。ケーキで身を立てるなんて、まったくの想定外でしたが。

 でも、そこから私のケーキ修業が始まりました。3人の先生……ローリー先生、プリューデンス先生、シャロル先生に押しかけるように弟子入り。シャロル先生からは、9か月間の集中授業でアメリカンベーキングの基礎をみっちりと学びました。ずぶの素人からのスタートでしたが、9か月後はそれなりの達成感がありました。

アップルパイの師匠であり、親友のような間柄のシャロル先生と

50代からの起業、直観を信じて前を進んだ

──帰国後、どのような経緯で起業されたのでしょうか?

 アメリカ留学を終えて日本に戻り、最初は京都の母のキッチンを借りてお菓子教室を開きました。実家の玄関先に掲げた小さな「ニューイングランドのお菓子教室」の看板を目印にして。最初の生徒さんは2、3人だけだったと思います。最初から順調ではありませんでしたが、ひょんなことから看板を見た京都新聞さんに取材されると、問い合わせが殺到ありがたいことに、あっという間に200人近い生徒さんが集まり、徐々に大きくなっていきました。

 そのうちに生徒さんに「お店を出したら」と言われて、直観的に「そやね!」と思い、そこから出店に向けて動き出しました。ビジネスなんてまったく経験はありませんが、なりゆきと直感で京都の中心地に教室兼お店をオープン。借りたのは京都特有の町家でしたが、「ディーン&デルーカ」が大好きだったので、内装は白と黒、グレーを基調とした「ディーン&デルーカ」風にリフォームしました。そんな私の姿が、他人には後先を考えない行動に見えたのでしょう。“成功するはずない”と何度も周りから言われましたが、自分を信じて突き進みました。

 京都の店が軌道に乗り、その後、夢の東京進出に動き出しました。知り合いと一緒に赤坂で5坪のお店を共同経営するものの、意見の食い違いで決別。でも、そのあとに代官山の店の物件との出合いがありました。家賃も相応で悩みましたが、「なんとかなるわ!」と借りることに。深い縁があったのでしょう、京都も東京も、今でもその場所にお店があります。

東京・代官山の松之助のスタッフと 撮影/宮濱祐美子

ニューヨーク出店の失敗、そこから新しい扉が開いた

──60歳からのサードライフとなる再婚。なれ初めは?

 その後、さらなる夢を追って、ニューヨークで店舗を出店することになったのですが、残念ながら2年で閉店することになりました。しかし、それと同時に新しい扉も開きました。再婚した夫との出会いです。夫のイーゴとは、ニューヨークのお店をオープンさせるために走り回っていたころ、友人のガーデンパーティで知り合いました。初対面では「感じのいい人だな」という印象でした。感覚としては友だちです。でも、自然に少しずつ縁が深まり、知り合ってから5年近くたった2017年の2月、結婚しました

 ウクライナ系アメリカ人の彼とは、お互いに母国語ではない英語での意思疎通。100%理解できているとは思いませんが、結婚後も新しい発見が山のようにあって、性格の違いもはっきりわかって。わずらわしいこともありますが、見方を変えれば、なかなかユニークでおもしろい。そうして交際が始まりましたが、一方で、ほどなくニューヨークのお店は閉じることになりました。「2つのことは同時には手に入らないのだな。それが現実」と、そのときに思いました。

 再婚したのは60代半ばを過ぎたとき。そこから私のサードライフが始まりました。今は日本とニューヨークを往復しながら、夫と一緒にスキーや釣りなど、新たなチャレンジをするなど再婚ライフを楽しんでいます。釣りやスキーはもともとの夫の趣味ですが、私自身はあまりやったことがなかったのです。60歳から釣りやスキーを始めて、こんなにも楽しめるものだと思っていませんでした。

 一度離婚を経験して、独身時代はひとりの生活や自分の時間を自分でコントロールできるのも楽しかったですし、まさか自分がまた結婚するとは思っていませんでした。夫と結婚することで、アメリカに住んでいてもビザの心配がいらなくなるというのもありますが、私自身は団塊の世代ということもあり、結婚というのは紙切れだけど、けじめとして大切かな、とも思いました。

再婚をきっかけに着るようになったピンクの服

鮮やかなピンクがとてもよくお似合いだ 撮影/宮濱祐美子

──今日もピンクのパンツがすてきですね。ピンクのファッションは65歳を超えてから身に着けるようになったとのことですが……。

 実は50代まで、ファッションは黒と白しか着なかったんです。人と会ったときにだらしない印象を与えないし、朝の身支度で「今日は何を着ようか」と考えなくてすむので、時間の節約にもなると思っていました。それが夫と暮らすようになって、ピンクの服も着るようになりました。大きな変化でした。年齢を重ねると、明るい色が似合うようになるんです。自分でも意外でした。今の私にとってピンクは、小さな幸せを象徴するハッピーカラーなのかもしれません。

 ピンクはもともと亡くなった母が好きだった色で、淡いピンクや紫が似合う、美しい女性でした。今はそんな母を思い出してピンクを着ています。母は私を見ると「カラスみたいに黒い服ばっかり選ばないで、たまにはピンクも着たら?」とよく言っていましたけれど、母が今の私の姿をみたらびっくりするかもしれませんね。

──自分を信じて前を進む人生に憧れます。でも、直観で進めていくことに恐れはないのでしょうか?

 この年になると、人生は、自分の描いたシナリオ通りは絶対ならないとわかってきます。そうすると、逆に自分の直観を信じて行動したほうがいいのではないか、そんなふうに思えてきます。娘からは「自分で決めたことは、正しいことだと信じないとダメだと思うよ。もしも失敗しても、自分で決めてやったことなんだから納得がいくでしょう?」と、言われたことがあり、その通りだなと思います。きちんと計画を立てて進めることも大切ですが、失敗することもあるかもしれません。でも、それが私の人生です。いただいた縁を大切に、自然になるようになると信じて前を進むことが大切なのではないでしょうか。

(取材・文/松矢英恵)

『「松之助」オーナー・平野顕子のやってみはったら! 60歳からのサードライフ』(主婦と生活社刊) ※記事中の写真をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします