報われない夢を実現させたい

──52歳のときに、美輪明宏さんの助言で芸名を「渡辺えり子」から「渡辺えり」に改名されましたが、その後の人生に変化はありましたか?

そのころ、扁桃腺膿腫になって死にかけたんですね。それを言っていないのに、美輪さんから突然、朝8時くらいに連絡があって、“名前を変えたほうがいい。そうしないと身体を壊すよ”って言われたんですよ。“え! 透視能力者か”と思って。それで変えたんです。

 渡辺えり子って名前は、苦労は買ってでもしろっていう苦行僧のような字画で、若いときは耐えられるけど年齢も50歳を過ぎたので、いい名前に変えて健康でいたほうがいいんじゃないか、という助言をいただいたんですね。でも、改名した名前で呼ばれないとその運にならないらしくて、いまだに“えり子さん”って呼ばれるから、変えてもダメですね(笑)。まあ、今も生きているってことは、名前を変えてよかったんじゃないかとは思いますけど」

──渡辺さんの元気の素は何でしょうか?

「報われない夢があるので、それを実現させたい。まだ、ぜんぜん実現しないことが多いから、実現するまでその夢を諦めないでやろうとしているところが、やっぱり元気の素かなとは思いますけど」

──その夢とは?

世界平和が一番の夢です。世の中から戦争をなくしたい。でもなかなかなくならないじゃないですか。だから、これはもう、なくなるまでしつこく諦めないで、演劇の力ででも、言葉の力ででも、やっていきたいと思います。それが元気の素だって言ったら、戦争で亡くなった方に対して申し訳ないですけど……戦争はなくすんだっていう思いを、今の世代の私たちが諦めちゃったら終わりですから。

 ただ、世の中は悪くなっていっている。アフガニスタンやパレスチナ問題も収まらないし、ミャンマーはまだ軍事政権が続いているし。日本では今、格差もどんどん広がっているし、男女格差の問題もね、いまだに女性の給料のほうが低いし、男性社会だし。だから、私が山形から上京してきてすごく頑張ってやってきたことは何だったんだろう? って今、本当に思いますよ。反原発運動もずっとやっているのに、原発はいまだに続いているし。やってもやっても状況が変わらないまま、もう67歳になってしまったという思いもありますね

渡辺えりさん 撮影/伊藤和幸

独身で子どものいない67歳は、孤独との闘い

──67歳という年齢とはどう向き合っていますか?

残念なのは、子どもが産めないってことですね。それが本当に残念だっていうのが、本音かな。今からでも産みたいけど産めない。全世界の子どもが自分の子どもなんだからって考えて、生きてきましたけど、やっぱりひとりになってみると、子どもに何かを伝えたい。身近に子どもがいてほしいみたいなことになるけど、67ではやっぱり子どもは産めないという現実があって。

 女の人は損だなって思いますよ。だって男性は若い人と結婚さえすれば、子どもを作ることは可能ですけど、女性は若い人と結婚したって、子どもはできないわけだから。近未来に可能な時代は来るかもしれませんけど、現時点では67歳と向き合うっていうのは、そこかな。独身で子どものいない67歳って、孤独との闘いじゃないですかね。孤独との向き合い。愚痴をこぼす相手もいない……みたいなことも心配しますよ。子どものいる人は、いるなりの悩みはあるんでしょうけどね