28歳でメジャーデビュー。メロコア、スカコアブームの渦中に
──そこで、メジャーデビュー時のメンバーがそろうのですね。
「1枚目のアルバムはディスクユニオンのPHALANX (ファランクス)というレーベルが“出したい”って言ってくれたんです。当時は、スカパンクと呼ばれる音楽シーンが盛り上がり始めた時期。でも全国的なムーブメントにはなっていなかった。
ファランクスがRUDE BONES(注:'93年結成のスカムーブメントの先駆者的バンド)のCDを出したり、LIFE BALL(注:銀杏BOYZにも影響を与えた、'90年代に活動していた伝説のスカパンクバンド)が当時としては驚異の1万枚を売ったんです。その流れでうちはファランクスからファーストアルバムを出して、翌年に自分のレーベル『SCHOOL BUS RECORDS』を立ち上げて、マキシシングルを出しました」
──いきなり自分たちのレーベルを立ち上げるのは勇気がいりませんでしたか?
「レーベルを作るときは、絶対に人が入れば入るほどもめる原因になると思って。特にお金が絡むじゃないですか。だから全部自分の資金でやりました。あとは自分たちのCDだけではなくて、後輩のバンドのCDを出してやりたいっていうのがありました」
──レコードショップに自らCDも搬入されたそうですが。
「行けるところは自家用車でCDを持っていて納品していました。売ってくれる人とつながっておきたいっていう気持ちが強かった。現実的な話、お店の人と仲良くなったほうが扱いがよくなるんですよ」
──そういったノウハウはどのようにして学んだんですか。
「最初は全然わかんなかったですよ。レーベル経験がなくていきなり始めたから、みんなどうやっているかわからなかった。CDってどこでプレスすればいいんだろう? から始まっていて、周りに聞いてみるんだけれど、ライバルが増えるからみんな教えたがらない。意外とケチなんですよ(笑)。でもKOGA Records(注:創業27年の老舗インディーズレーベル)の古閑さんは教えてくれたんです。だから、最近になってKOGA所属のKEYTALKが売れたときは僕も嬉しかったですね(笑)」
──CDをリリースするのに大変だったことはありましたか。
「CDプレスの会社にTシャツ、短パンで行くじゃないですか。取引先にしてみれば “プレス代とか百何十万円も払えるの?”ってなる。露骨に“お金を最初に払ってくださいね”って言われましたし。逆の立場になったら、当然っちゃ当然ですよね」
──英語詞は珍しかったと思うのですが、どうしてスネイルの歌詞は英語詞にしたのですか。
「日本語で詞を書く才能がなかったんですよ。才能のない歌詞ほどつまらないものってないじゃないですか。だったら“ふふふん”のほうがよくない? みたいな。ぱっと聴いたときに歌っている内容は一緒だったとしても、英語だと自分のウィークポイントを出さなくてすむっていうのが大きい」
──文法とか気にされていました?
「いや、文法とか本当めちゃくちゃで。英語圏の人に“俺たちの歌詞って、英語レベルはどれくらい?”って聞いたら、”アメリカだと3歳くらいの英語”って(笑)。でも“それでいい”みたいな」