43歳で念願のキックボクシング王座に
──第12代NKBウェルター級王座になられたのが43歳でしたが、プロデビューから12年かけてチャンピオンになるまで、心がくじけませんでしたか?
「30代半ばでランキングに入れたんですが、上位は自分よりも若いし、強い人たちばかり。最初はかなわないって思いました。でも待てよ。今はかなわないけれど、2年後、3年後になればこの中で辞めていくやつが出てくる。そうなると、上のやつがいなくなるから必然的に上がっていく。今、勝てなくても長期戦で見れば何とかなるんじゃないかって思ったんです」
──ケガなどのトラブルはなかったのでしょうか。
「両膝合わせて3回手術しているんです。それ以外にも、顎を折られたり、肋骨(ろっこつ)を折ったりとかあって」
──壮絶ですよね……。
「でも顎や肋骨って、治療やリハビリをする必要がないからケガっていう意識はないんです。膝は手術するから、ベッドで安静ですけど。膝は消耗品なんです(笑)」
──キックボクシングを辞めたいと思ったりしませんでしたか。
「キックをやっていて楽しかったし、デメリットは1つもなかった。ケガをすると、ケガした人の気持ちがわかるようになったし、こうすればいいっていう知見も生まれる。それってケガしてない人はわからないじゃないですか」
──非常に前向きですよね。
「死なない限り、いろんな経験はするべきだなって。何かに役立つことはある」
──どうやったら、竹村さんのように夢中になれるものを見つけられますか?
「本当に好きなものが見つからないのであれば、とりあえず誘われたものに一度は乗ってみるっていうのは大事だと思います。それが面白くないと思っても、やってみると違うと感じることって多い」
──なるほど。
「やりたいことがないって言う人って、実はやりたいことがあったりする。心の中で“やったって無理”って言って、自分で押さえつけちゃう。そういう人が多いと思います。自分の場合も、バンドもキックもできないだろうと思ったけれど、やってみるとなんとかなっちゃう。それなりの努力や時間をかけないと無理だけれどね」
バンド時代、レーベル運営で1500万の借金
──話は変わりますが、レーベル運営で、1500万円の借金を作ったというのは本当ですか?
「はい。ディストリビューター(卸売業者)で売掛金がたまっていたんです。レーベルは自分一人でやっていたけれど、事務的なことは委託している会社にやってもらっていました。ある日、委託会社から連絡が来て、売掛がたまっているって知らされたんです。最初は1700万円って金額で、“何それ、ちゃんと払ってもらってよ”って言って。結局、ディストリビューターと“じゃあ、いくらずつ払います”っていう契約をしたら、1500万円を残して、その社長が飛んだんです。“マジかよ”って思いましたね」
──でも明るく話していますよね……。
「“ふざけんなよ、ちくしょー”って、そう思って返ってくるならいいけれど、返ってこないじゃないですか。もしも、相手をひどいと思って返ってくるなら、“あいつ~”と言いながらわら人形を打ちますよ(笑)。でもそんなこと考えてもお金は返ってこないんで、もうなかったことにするというか。ネタになったらいいかなって」