──膝のケガもそうですけれど、どうやったら目の前のことから逃げずに、前向きでいられますか。

僕も昔は心配性で、将来に対しての不安とかめちゃくちゃあったんです。ピークだったのが中学生くらい。僕、相撲取りになりたかったんですよ

──相撲取り? ですか。

「当時、北尾が好きで立浪部屋に入ろうと思っていて。新弟子検査では、173センチ、体重75キロ以上必要で、体重が足りなかったんです。そこから1日5食食べて1年かけて太るんですよ。でもどんなに食べても、75キロでピタッと止まった。これだけ食べても10キロしか増えない。“相撲取りにはなれないかもしれない”って毎晩、落ち込んでいたんです

──今の竹村さんからは想像ができない姿ですね。

でもそれで、“こうなったらどうしよう、まずい”って考えることって、ほぼ妄想だなって気づいたんです。現実にはまだ起きていない。起きる前から不安になっている。例えば、“明日ゴジラが来たら踏まれる”って考えるのと、たいして変わんないなって思って。そこから、落ち込まなくなりましたね

竹村哲さん 撮影/高梨俊浩

今の目標はキックボクシング人口を増やすこと

──現在は、NKBのマッチメイク(格闘技において対戦カードを決定すること)をされていますが、どういった経緯で担当することになったのですか?

「マッチメイクはもともとやりたかったわけではなく、前任者がぱっと辞めてしまって、団体の代表から“やってくれ”って言われて。2回断ったけど、結局、3回頼まれてやることにしましたね。でも、お金がもらえるわけではない。完全ボランティアなんですよ」

──今は、音楽活動よりキックボクシングにまつわることが多いのですか?

ジムの経営がメインです。基本的には自分でジムを作りました。レーベル作りと一緒ですよね、人に聞きながらやっています。今でもそうなんですけど、好きなことしかやってきてない。就職したこともないし、就職するような好きな仕事に出合わなかったんです

──今後は、どういうふうになりたいと思っていますか?

「今後ですか。ここのジムを成功させたい、成功させないといけない。金銭的にというより、選手を育てないといけないと思っています。うちのジムからもプロデビューさせた選手がいるのですが、もっときちんとした選手にしたいですね。あとはみんなに楽しんでもらって、キック人口を増やしたい。母数が増えれば、そのぶん競技のレベルも高くなるし、キックボクシングが認知されていくと思うんです

取材・撮影は竹村さんが経営するTOKYO KICK WORKSにて行われた 撮影/高梨俊浩

「会うと元気になる」。彼にはその言葉が合う。音楽で若者たちを勇気づけていた竹村さんは、公言通りキックボクシングでも結果を残し、今は若手の育成に注力している。バンドからキックボクシングとフィールドを変えても、好きなことをやるという姿勢は揺らがない。だからこそ、セカンドキャリアも輝いている。

(取材協力:TOKYO KICK WORKS

(取材・文/池守りぜね)

《PROFILE》
竹村哲(タケムラ アキラ)
1971年東京都生まれ。1995年にスカパンクバンド『SNAIL RAMP』を結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行った。2021年にキックボクシングジム「TOKYO KICK WORKS」をオープン。