漫画誌は大人向けと子ども向けにわかれていく

 そんな海賊『少年ジャンプ』の「新人育成大作戦」は完全に当たった。特に世間的に認知されるきっかけになったのが、1968年にスタートして1970年代前半まで続く、永井豪の『ハレンチ学園』と本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』。両方ともいい意味で“超ガキっぽい”。ゆえに、小中学生の心をがっつりキャッチする。『ハレンチ学園』に関しては子どもの心をわしづかみにし過ぎて、作中に出てくる「スカートめくり」が三次元で流行(はや)りまくり、PTAが頭を抱えるレベルだったという。

 この時期、すでに王座に君臨していた『少年サンデー』や『少年マガジン』は、漫画のターゲットを青年層まで広げていた。例えば、『少年マガジン』は『巨人の星』『あしたのジョー』といった劇画漫画を連載。前回の記事でお伝えしたが、劇画漫画は主に青年の読み物だった。実際、よど号ハイジャック事件での声明文にも「われわれは明日のジョーである」と書かれるほど、少年漫画誌は大人への影響力があったのだ。

 また、『少年マガジン』では谷岡ヤスジの『ヤスジのメッタメタガキ道講座』を連載。ナンセンスなギャグは、もはや子どもの脳の範疇(はんちゅう)を超えたアートの世界だった。『少年マガジン』や『少年サンデー』などに掲載された『天才バカボン』も、とんでもなくナンセンス。赤塚不二夫のキレッキレのギャグは子どもにはシュール過ぎて、だんだん青年の読み物になる。

 一方で「純粋な少年漫画」はちょっと手薄になりつつあり、後発の『少年ジャンプ』や『少年チャンピオン』は、そこに突撃したわけだ。なかでも、新人発掘作戦をとっていた『少年ジャンプ』は1970年代前半に吉沢やすみ『ど根性ガエル』、とりいかずよし『トイレット博士』、遠崎史朗原作、中島徳博作画『アストロ球団』といった、当時ほぼ無名の新人漫画家による「子どもにもわかりやすい漫画」で発行部数を伸ばしていく。1973年8月には、ついに『少年マガジン』を抜いて雑誌発行部数で首位に立った。まさに海賊。一気に宝物(読者)を奪っていったのである。

“がきデカ”と“こち亀”の共通点とは

 そんな『少年ジャンプ』も1975年ごろから「ギャグマンガ路線」の強化に乗り出す。1976年には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』がスタート。時事ネタなどを扱った1話完結のスタイルで、2016年まで連載が続いた。

 初期“こち亀”の特徴といえば、とにかくド派手なギャグ。派手すぎて、もはや下町のいち派出所のスケールではない。主人公の両津勘吉は、とんでもないハイペースで鉄砲を撃ちまくる。往来でバズーカをぶっ放すのが、もはや日常茶飯事。警察なのにあらゆるタブーを犯しまくる漫画だ。

 そのせいで「両津〜!」と毎回、部長にガチギレされるのだが、マジでまったく反省しない。ただ、その光景まで含めてみんなから許されており、愛されている。この「めちゃくちゃ濃いキャラクターの自由な振る舞いを許す」という作風は、1974年に『少年チャンピオン』で連載を開始した山上たつひこの『がきデカ』のパロディといってもいいくらいのものだった。「死刑!」の一発ギャグで有名なこまわり君のキャラクターを意識していたのだ。実際、こち亀の作者・秋本治の初期ペンネームは「山止たつひこ」だ。

 ちなみに、この作風は1980年代に入って、鳥山明の『Dr.スランプ』に引き継がれる。主人公のアラレちゃんは、もうなんか鼻をほじるくらいのテンションで、月や地球を割ったりする。「懲役何年だよこれ」という大事件を犯すし、ニコニコして反省もしないが、みんなに愛されてすくすく育っていく。

 そんな「新しいギャグの世界観」を生み出した、という意味でも、『がきデカ』は漫画史において重要な作品なのだ。見た目も行動もすんごくバカだけど、決してバカにしてはいけない。