高橋留美子という“ラブコメの巨匠”の登場

 さて、漫画の話に戻ろう。1970年代に成人男性が少女漫画を読むようになったことは、前回の記事でお伝えした(記事:1970年代は“少年漫画の攻防”と“少女漫画の哲学化”が激アツ! 伝説の「24年組」の作品は何がスゴかったのか)。青年男子は少女漫画の心理描写を読んで「おぉ……漫画ってスポ根とかロボットだけじゃねぇんだ……」と気がついた。

 そこで、少年誌のあり方も変わってくる。「ラブコメもの」を少女漫画から輸入したのだ。例えば、1978年スタートの柳沢きみお『翔んだカップル』は、少年漫画誌におけるラブコメのパイオニア的作品である。主人公の少年は、海外にいる叔父夫婦の家でひとり暮らしをしている。そこで美少女と同居することになる……と、もう完っ全に少女漫画の設定だ。ラブコメ少女漫画において、主人公の家族はマジで都合よく海外に行くのだが、それを少年誌でやったわけだ。

 そんななかで出てきた”ラブコメの巨匠”のひとりが高橋留美子である。1978年に、当時まだ大学生でありながら『うる星やつら』の連載を開始。その後、1980年には『めぞん一刻』、1987年には『らんま1/2』と、おなじみすぎるラブコメヒット作品を次々と生み出す。

 特に、『うる星やつら』に登場する「ラムちゃん」というキャラクターは、今考えても強烈だ。まず「鬼型宇宙人」というぶっ飛んだ出自。で、超能力者で怒ると電撃を放つ。見た目はスタイル抜群で超絶美人なうえ、「ビキニが一張羅」というセクシーさ。さらに、おてんばでちょっと天然。しかも語尾は「だっちゃ」「のけ?」といった「いや、故郷どこなん?」という独特な方言。

 いやもう、具だくさんすぎる。薬膳鍋くらい具が多い。ここまで魅力たっぷりなうえに、何より主人公・諸星あたるに一途(いちず)で、彼がどれだけ浮気しようとも愛し続ける。これが当時の男性諸君の心をシビれさせまくったのは、いうまでもない。まだ「萌え」という言葉ができる前だが、『うる星やつら』は「萌えの元祖」といわれることもある名作だ。ちなみに2022年、36年ぶりにTVアニメ化されることが決定した。今から”そわそわしている”おじさんも、たくさんいることだろう。

「スポ根」ものに終止符を打ったあだち充

 また、スポーツ漫画の土俵でいうと、あだち充も外せない。彼は初期のころ、原作者つきで劇画漫画や少女漫画を描いていたが、1978年に完全オリジナル作品として野球漫画『ナイン』をスタートさせる。

 1970年代のスポーツ漫画は、とにかく「血と汗と涙で勝利をつかむぞ!」みたいな。「夕日に向かってウサギ飛びだ!」みたいな。フィジカルを鍛えまくったうえで、試合ではものすごい魔球を投げるみたいな、熱いスポ根ものが主流だった。

 なぜ、こんなにもスポ根がはやったのかというと、高度経済成長期のまっただ中だったことも関係している。当時の日本は、とにかく戦後復興の真っ最中。「貧乏」をコンプレックスにして「働け働けぇ!」という、「努力こそ美学」の時代だった。しかし、1973年のオイルショックを経て安定成長期に入ると、ゆっくりとスポ根ブームは廃れていく

「相手よりトレーニングして、白熱した試合をしておまえに勝つ!」みたいな勝負だったのが、だんだんと「いやいや、そんな熱くなんなよ」ってなる。"スカす"っていう感覚が、ちょっとオシャレだったのだ。

 例えば、水島新司『ドカベン』(1972年に連載開始)では、熱い根性論よりも、冷静に技術面や試合としてのリアリティを見せた。また、江口寿史『すすめ!!パイレーツ」(1977年に連載開始)は、パロディを存分に入れたギャグで、完全にスポ根をいじりまくるようになる。

 スポ根が古くなっていくなかで登場した“あだち漫画”は、「ゆるゆる~っとしたラブストーリー」が見どころなので、試合に負けても無問題なのである。

 そして1981年に始まった『タッチ』で、完全にスポ根漫画ブームにとどめを刺す。『タッチ』はみなさんご存じ、努力家の弟・上杉和也が怠け者の兄・達也に夢を「バトンタッチ」する野球漫画だ。

 その最終巻でスポーツ漫画界に衝撃を起こした。まず甲子園の開会式当日に、達也は球場にいない。地元(設定では東京都練馬区)に帰って「上杉達也は浅倉南を愛しています」と、別の意味で”宣誓”している。で、当然のように甲子園での試合はまったく描かれない(優勝しているのに)。極めつけは、ライバルの新田明男が「またどこかのグラウンドで」と達也にさらっとリベンジを申し込むが、達也は「もういいよ。疲れるから」とあっさり答える。

 この「もういいよ」こそが、スポ根に終止符を打った。読みながら「おい。新田の気持ちどうするん」とツッコんだが、いやいや、これこそが新しいスポーツ漫画だった。この「熱いライバル関係に無理に固執しない」という、どこかクールで身軽な感覚こそ、安定成長期からバブルに向かう「満ち足りた日本の価値観」が反映されていると私は思う。「貧乏をコンプレックスに頑張りまくっていた日本」は、このときに終わりを告げ始めたのだ。