漫画を大幅にアップデートした2人の天才

 また、1980年代といえば鳥山明大友克洋を抜きにして語れない。この2人によって、漫画の表現は大幅にアップデートされた。

 1980年に連載を開始した『Dr.スランプ』で知られる鳥山明の「画力の高さ」は、当時の漫画家にとって脅威でしかなかった。手塚治虫をはじめ同業者が大絶賛し、漫画全体の画力レベルが底上げされた2020年代でも、いまだにヒクほどうまい。絵が達者な漫画家が現れたら定期的にSNSや5ちゃんねるなどで話題になり、そのたびに鳥山明の絵と比較されて「いや、やっぱ格が違うわ」と言われるのは、もはや恒例行事である。

 そんな鳥山明の絵のルーツは漫画でなく「グラフィックデザイン」だった。幼少期にディズニーの『101匹わんちゃん』などを模写していたが、小学校高学年からは漫画に触れていなかったという。しかし、絵は得意だったため、工業高校のデザイン科に入学する。卒業後にデザイナーとして広告を作っていたが2年半で退職。お金がなくて困っていたときに少年ジャンプの漫画賞を知り、そこではじめて漫画を描き始めたという。

 また、彼はプラモデル作りの腕前もプロ級である。絵のルーツが「漫画」というより「デザイン」だったことも含め、当時の漫画絵を知らずにコミックの世界にやってきた。だからこそのデッサン力、バランス感覚があったのだろう。

「大友以前、大友以後」といわれるほどの革命

 もう1人、漫画の絵を大幅にアップデートした存在が大友克洋だ。以前「今の文系大学生の部屋には、なぜか『ガロ』が置いてある」という話をしたが、大友の名作『AKIRA』も同じ。なぜかサブカル系大学生の家には、ほぼ100%『AKIRA』がある。ただ、彼らのうち80%はインテリア的な感じで置いている。ゆとり世代以降のサブカル系大学生にとってこの作品は「持ってるだけでインテリっぽく見える」の代名詞なのだ。

 大友克洋はもともと映画監督を志望して上京し、食いつなぐために漫画を出版社に持ちこみ始めた。最初は海外文学原作のコミカライズだった。1970年代後半にコンスタントに作品を発表していくなかで、おたく界隈で「大友克洋っていうなんか、えげつない作画レベルの漫画家がいる」と話題になる。

 そんな彼の名がマニア枠を超えて世間に知られたのは、短編集の『ショート・ピース』『ハイウェイスター』、『さよならにっぽん』だ。これら3作品のヒットで大友克洋の名はは一般層にまで広がり、多くの読者は”衝撃”を受けた。

 このあと1980年に入って、代表作である『童夢』『AKIRA』の連載をスタートしたが、このあとの時代からは、もうみんな大友克洋の絵に寄せていく。漫画家志望の若者はもちろん、同年代や先輩漫画家、江口寿史をはじめとするギャグ漫画家、吉田秋生や高野文子といった少女漫画家などが彼の影響を受けた。

 では、「大友作品の絵はそれまでの漫画と何が違ったのか」。例えば、キャラクターの描き方でいうと「登場人物がみなキャラクター要素のない、どこにでもいる日本人の顔をしている」「老人の皺について、それまではほうれい線1本程度の表現だったが、目じりやおでこまで緻密に描かれている」「風景と人物の線の太さが同じであり、人を風景のひとつとして描く」などが有名だ。

 つまり、キャラクターの表現自体がとんでもなく「リアル」むちゃくちゃ写実的で、過度なデフォルメをしていないのだ。以前の記事で「手塚治虫がキャラクターをデフォルメすることで子ども向けの漫画表現を構築した」と紹介した。『ジャングル大帝』のレオが驚いて立ち上がる……みたいにデフォルメすることで愛らしさ、コミカルさを出したのだ。そこから劇画漫画が登場してカウンター的に「絵のリアルさ」を打ち出し、青年読者を獲得する。

 この1950年代の発明から20年間、漫画家は「リアルとデフォルメ」のバランスを考えながら「漫画らしい絵」を考えていたわけである。そこに3次元に限りなく近い大友のキャラクターが登場するわけだ。もう「この20年間はなんやったん?」っていうレベルの革命である。

 いや、もっというなれば、「漫画」という言葉は葛飾北斎が「漫ろに描いた絵のことやで~」と定義したように、そもそもデフォルメするのが基本だったはずだ。ちょっと大げさかもしれないが、大友克洋は150年以上続いてきた「漫画の定義」すらひっくり返してみせた、といってもいいのではないか。

 どれだけリアリティをもって描かれたか。例えば「アトムってどんなキャラだっけ?」という質問には「お目目がクリクリでツノがあって……」と、すぐ答えられるだろう。「デューク東郷は?」に対しても「極太まゆ毛で目が鋭くてスーツで……」などと、キャラの個性がすぐ頭に思い浮かぶ。

 でも「AKIRAの金田は?」は、とんでもなく難問だ。デフォルメされてない平均的な日本人の顔だから、わかりやすい特徴がないのである。名前も「金田」や「鉄雄」など、全然キラキラしていない。大友は過去のインタビューで「近くの友だちを参考にしていたら自然とこうなった」と答えているが、逆にそんな「奇をてらわない表現」が漫画においては、ものすごく革命的だったのだ。

 もちろん「大友克洋が漫画界に起こした革命」はこれだけではない。「建物や乗り物の造形が信じられないほど緻密で、かつ3Dだったこと」「フランスの漫画家、特にジャン・ジロー(メビウス)の影響を受けた『よく分からない宇宙人みたいなキャラ』や『巨大メカ』といった未知の造形物を生み出したこと」など……語りだすとマジで止まらなくなりそう。読者のみなさまに「地獄の永久スクロール」をさせてしまうのでこの辺でやめておくが、まさに「大友以前、大友以後」といわれるまでに漫画の歴史をひっくり返した

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 さて、今回は1980年代の漫画の歴史について、たっぷりと紹介した。なかでも鳥山明と大友克洋の作品は、世代ではない私が読んでも「なにこれ、超斬新なんだけど」っていう表現が山ほどある。

 そんな2人の共通点といえば「メディアミックス」「世界進出」だ。1980年代後半から1990年代にかけて、漫画やアニメは立派なジャパニーズカルチャーになっていく。

 いよいよ次回でこの連載もラスト。日本の漫画やアニメが世界に認められるまでの流れとか、「萌え系」「セカイ系」「なろう系」の歴史、現在のSNS漫画などをたどりながら、2022年の今、漫画はどう進化したのかを楽しく考えていきたい。

(文/ジュウ・ショ)


【参考文献】
◎『日本漫画全史:「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで』(平凡社刊)
◎『日本の漫画本300年:「鳥羽絵」本からコミック本まで』(ミネルヴァ書房刊)
◎『「コミックス」のメディア史 モノとしての戦後漫画とその行方』(青弓社刊)
◎『マンガ熱』(筑摩書房刊)
◎『ジャンプ流Vol.1』(集英社刊)
◎『芸術新潮 2012年4月号』(新潮社刊)
◎『ユーロマンガ Vol.3』(Euromanga合同会社)
◎『東京大学「80年代地下文化論講義」』(白夜書房刊)
◎『マンガ熱』(筑摩書房刊)
◎『漫画・まんが・マンガ』(青弓社刊)
◎『マンガ熱』(筑摩書房刊)