ひと言「俺、結婚決めたから……」

 往年のヒット曲を解禁する一方、欧米のロックが大好きで、ライブではローリング・ストーンズやクイーンやキング・クリムゾンの曲を歌う秀樹の嗜好(しこう)は、別の形で実を結ぶことになる。

『走れ正直者』と同じ日(1991年4月21日)の発売で『Mad Dog』というオリジナルアルバムを出しているんです。これは織田哲郎さんのプロデュースでロック色の強い作品です。

 織田さんは『おどるポンポコリン』(B.B.クィーンズ)を作曲して大ヒットさせていますが、織田さんといったらやっぱりロックじゃないですか。秀樹さんもロックが大好きなので話が盛り上がって『Mad Dog』につながったわけです。とてもいいバランスだったと思います

 この頃の秀樹はまさに円熟の境地。

 1994年にはNHK『紅白歌合戦』に10年ぶりに復帰し、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』を熱唱。さらに『紅白』では1997年YOSHIKIが作曲したシングル『moment』を歌い、2001年まで5年連続で出場している。

 プライベートでは2001年6月に美紀さんと結婚。46歳にして「独身貴族」といわれたシングルライフにピリオドを打った。

──結婚については、どういうかたちで聞かされましたか?

マネージャーにはあらたまって言いません。“俺、結婚決めたから”。“あ、おめでとうございます”みたいな感じだったと思います。

 もちろん美紀さんと会っているというのは、なんとなく知っていたんです。最初は秀樹さんのお姉さんの紹介で。だんだん “ひょっとしたらそうかなぁ”みたいな気配がただよってきて。決まったときは、発表するまで絶対に外に漏れないように、というのにいちばん気を遣いました」

婚約を発表した2日後、筆者のインタビューにこたえる秀樹さん。美紀さんの写真を前に照れくさそう(2001年3月) 撮影/佐藤靖彦

──いい人と結ばれてよかったですね。

「はい。すぐ子宝に恵まれて、翌年にはお嬢さんが生まれました。

 当時のご自宅は地上2階、地下1階という造りで140坪ありました。まるで美術館みたいな洋館だったんですが、やっぱり独身だから成立した空間だと思います。プライベートスタジオがあったり、完全に趣味を謳歌(おうか)するための家でした。住み込みのお手伝いさんもいましたね。

 それが美術品やオブジェや骨董品やらの横に、お子さんの三輪車やジャングルジムが置かれるようになったり(笑)。床もぜんぶ大理石でしたから、転んだら危ないというのでフローリングに貼り替えたりとか。だんだん家族のための家になっていき、2012年には引っ越しをされました」

──お子さんは3人(1女2男)ですよね。秀樹さん自身の変化はありましたか?

「やっぱり父親としての自覚というか、“自分がこの家族を支えていかなきゃいくんだ”という責任感をすごく持つようになりました。それは僕らスタッフも含めて、です。なんとかして木本家(本名は木本龍雄)を支えるんだという思いで、どんなことにも立ち向かっていきました」

(取材・文/川合文哉)

インタビュー後編では「秀樹さんに驚かされたこと」「カバー曲の秘密」など、さらにエピソードを紹介します。

【関連情報】

西城秀樹 コンサート2022「THE 50」

◎西城秀樹 コンサート2022「THE 50」
4月3日(日)17:00〜 神奈川県民ホール(横浜)
4月14日(木)18:00〜 オリックス劇場(大阪)
https://earth-corp.co.jp/HIDEKI/special/concert2022-the50/

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「THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories」
https://hidekiforever.com/page/the50hs-song-of-memories/

◎西城秀樹オフィシャルサイト
https://earth-corp.co.jp/HIDEKI/