放送を見て、はじめてわかった訪問の狙い
やがて、私の部屋にやってきた福留さん。
はじめは、アイスブレイク的な雑談でしたが、そのうち話がクイズに関することに及んで、「クイズを始めたのはいつか?」「初めてウルトラクイズの放送を見たのはいつか?」「いかにウルトラクイズに、ほれ込んだか?」、そして「クイズ、というか勝負事に関するモットー」など、けっこう深い話をしたと思います。
私は聞かれるままに答えていて、あっという間に時間がすぎました。正直、緊張のあまり10分くらいだったのか、1時間くらいしゃべっていたのかも覚えていません。
やがて、ひと通り話を終えると、福留さんは「邪魔したな。それじゃ、明日は最高の決勝戦を期待してるから」とかなんとか言って、部屋を出て行ったのでした。
「んっ? これって何だったの? 激励に来てくれたの?」
怒涛(どとう)のような時間が過ぎて、そんなことを思ったのを覚えています。
この訪問の謎が解けたのは、帰国後、番組の最終週の収録で日本テレビのスタジオに行ったときのことでした。
スタジオの観覧席には、一般客とともに、ウルトラクイズの参加者がたくさん呼ばれていました。ただ、私はと言えば、番組の最後に準優勝者として収録に出演する予定だったので、控え室で第4週の映像を見ていたのです。
やがて番組は、ウルトラクイズでおなじみの、決勝を戦う2人がそれぞれヘリコプターに乗って、ニューヨークの摩天楼の上を飛ぶ場面にまで進みました。
あの日、ニューヨークのホテルで、どうして福留さんが私の部屋にきて会話をしたのかの謎が解けたのはこのときです。
ヘリコプターに乗っている私を紹介するときの福留さんのナレーションが、あの日、福留さんと会話した内容から作られていたのです!
なるほど。そういうことでしたか。
なんのことはない、福留さんが、決勝戦前のヘリコプターシーンのナレーションの台本を書くためのインタビューだったのですね。
今なら、容易に察しがつくのでしょうが、われながら当時はまだ、右も左もわからないヒヨッコだったのだなと思います。
ああっ、それにしても、そうと知っていれば、もっとカッコイイことを言ったのに……。
「勝負はなんでも勝たなくてはダメ。人に好かれる人物は絶対に勝てない」なんて、クイズでギラギラしていたころの「若気の至り」の言葉をそのまま放送されてしまって、顔から火が出る思いだったのでした。
(文/西沢泰生)