1986年のデビュー以来、声優として『らんま1/2』早乙女らんま、『エヴァンゲリオン』シリーズの綾波レイや『名探偵コナン』灰原哀など人気作品のキャラクターを数限りなく演じているビッグネームが……そう、林原めぐみさん。

 彼女のライフワークとも言えるのが、1992年からパーソナリティを務めるラジオ番組『林原めぐみのTokyo Boogie Night』(TBSラジオ、ラジオ関西)。2022年4月にはなんと30周年を迎えたんです。アーティスト、作詞家、母の顔も持つ多忙な日々のなかでも、これだけ長く続けられた秘訣(ひけつ)や取り組み方、そして思い出をたっぷりと語ってもらいました。

*今回はロングインタビュー(全3回)のPart2です。

(Part1)林原めぐみさんロングインタビュー、30周年を迎えた『Tokyo Boogie Night』10代から60代まで幅広い世代をつなぐトークの裏側

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インターネットが普及する前のラジオの希少価値

──ラジオでこういうコーナーをやりたいとか、こういう人をゲストに呼びたいみたいに林原さんも意見を出したりするんですか?

「いや、来たい人が来ればっていう感じです」

──いやいやいや(笑)。めっちゃ豪華じゃないですか。

たまたま、みんなが豪華になっただけですよね。“宣伝したいんだけど行っていい?”っていうから、おいでよおいでよとか

 実は、こんなびっくりな背景もあるという。

この番組って、キングレコードの提供なんですよ。キングレコードがお金を払って、キングレコードのための番組なんです。だからキング所属じゃないゲストが来たときに、その人がソニーだったり、その人がビクターだったりしたときに、その人の曲をかけるっていうのはおかしな話なんですよ、本来は。でもね、キングレコードさんの懐の深いところが、これはゴマをすってるわけじゃなくて、昔から、本当に最初のころからそうなんですけど、“どうぞ”なんです。だから普通のラジオっぽいんです

──そのありがたみは、リスナーは気づかないですよね。

「気づく必要はないんですけど。だから垣根もなくて、例えば、お芝居の宣伝にくるとか、自分が本を出すからちょっと宣伝させてとか。今はインフルエンサーじゃないですけど、いろんな形で宣伝媒体がありますが、30年前、20年前でもいいですけど、そもそもインターネットが普及していないころにラジオっていう媒体の宣伝力っていうのは、はかり知れないぐらい大きくて。雑誌だと1か月遅れだし。今、宣伝したいものが3日後とか4日後とかすぐにオンエアされるっていうことの希少価値が、当時はとてもあったんですね

 テンポやノリのいい会話の中でも本質をウヤムヤにせず、なにかしら具体例と比喩を混ぜながら話してくれることに感動する。

正義の使い方

──30年という歳月には苦労や不測の事態もあったと思います。

「それはもう、災害があったときとかは、“こんばんは”の一言が言えないというか。この番組ではなく『林原めぐみのHeartful Station』というラジオ関西でやったものですけど、阪神・淡路大震災直後にずっと安否確認が流されてる状況の中で、自分たちがなにを言えばいいの? っていう……。SNSがなかった時代ですけど、放送後に“なんで放送したんだ”、“もっと安否確認をちゃんと流すべきだろう”という非難のハガキがたくさん届いたんです

 1995年1月21日のこと。 

でも、しばらくして郵便事情がやっと整って、自分の家屋が倒壊しておうちがなくなった子からも手紙が届きはじめて。そのお便りには1週間前の時間があって……。“ずっと安否確認の中で、めぐみさんの番組のテーマソングが流れてきたのを聞いたとき、初めて自分が生きてるんだって自覚して泣いた”とか。“放送してくれてありがとう”っていうのが全部、神戸からでした。“なんで放送したんだ”というのが、京都とか大阪や奈良とかから。だからといって大阪、京都の人たちを責めてるんじゃなくて、それもその人たちの愛だと。神戸を思う愛。でも、実際に被災した人からは感謝だったっていうことは、自分がパーソナリティ人生を歩むうえで、常に……もう血肉になっていますね。正義の使い方といいますか

 何年たっても世の中が変わっても、この時の経験で学んだことは彼女に大きな影響をあたえている。

「今はSNSで思ったことをすぐに言えるけど、その言葉はどういう意味を持ってるのかとか……。例えば、“なにもできないけど、祈ってます”の、“なにもできないけど”って言うのをやめようよって思ったり……。日本人は好きだけど」

──使いがちですよね。

なにもできなくないよ。コンビニのレジ横の募金箱に10円でもいいじゃんって。“自分は暖かい毛布で寝られるのに寄付するなんて、施しみたいな、偽善のような気がする”と言うピュアな子がいて、そうしたら神戸の子から“偽善も集まれば善になります”というお便りが。そういうやりとりって、なかなかテレビでできることじゃないし、ラジオだからといって誰の番組でもできることでもないし

客席のリスナーに語りかける林原めぐみさん(2017年『林原めぐみのTokyo Boogie Night』1300回突破記念の公開録音より/写真協力=キングレコード)

ブログは向いてないです

──ずっと続いているレギュラー番組があるじゃないですか。プレッシャーがあると思うんですけど、コンディションの維持のために特別にやっていらっしゃることはありますか?

「プレッシャーもないし、コンディションの維持もないですね。たぶん免疫が強いんじゃないでしょうか(笑)」

──逆に、なにか変わったことってあります?

「もうひとつのラジオ『林原めぐみのHeartful Station』が2015年3月に終わったんですね。みんなすごいショックだったみたいで。そっちは20何年続いたのかな。“林原さんが活動を終えちゃうのか”とか、“うわー”みたいな。みんなの動揺があまりにも大きかったもんだから、終わりを始まりにしてみようと思って、そこからブログを始めてみたんです。真面目に毎日更新をずっと続けて、この間、気がついたら7年ぐらいやってるんですけど。でもあらためて、私は、ブログは向いてないです

──本当に向いてなかったら7年も続かないですから。

みんなのためっていうのがちょっとあって。楽しみにしてる人がいるのに休んだら悪いかなみたいな。ちょっと負荷がかかってて……。ラジオはひとつも負荷がかかってないんですけど。なんでかっていうと、ラジオで話す言葉は瞬間的に流れていくけど、ブログは字として残るじゃないですか。読み返したりできるし。だからものすごく文章を吟味しちゃうんですよ

──それはブログを拝読していても感じます。

「“こういう言い方をしたら誤解をよぶな?”とか、考えちゃうんですよね。誰が読んでも誤解がない文章って意外と難しくて。ここを説明すると過多だなってなったり。かと言って、“何々を食べたよー”で、あとは写真のみ……とかが……できないんですよね、性格的に」

──林原さんのはブログじゃないですよね、もはや。なんか命を削って書いてる感じがあって。

「あはは。ごめんなさいね、重たかったですよね」

──いわゆる芸能事務所や企業がオフィシャルで出す文章以上のなにかが、林原さんのブログの行間からは出ていますよね。ラジオのトークとはまた別人格が。

ラジオを聞いている層だったり、私を好きでいてくれてる層。ざっくりとアニメファンと呼ばれる人たち。私もかつてそうでしたけど、繊細な人が多いんですよ。『鬼滅の刃』みたいに大大ヒットってなると、集まる層も変わってくるので、一概には言えませんけれど。例えば、私の演じたキャラが死んだことに本当に落ち込んじゃう人とか、わがことのように感じちゃう人とか。その繊細さが私は愛おしいんです。

 普段はズバズバ言ってるけど、最終的には相手を踏みつけたいわけじゃないんですよね。言葉が刺さって“痛っ”ってなるのはやりたいけど、それはその子が避けていたことに気がつくためのアプローチというか、そんな思いがあります。だから言葉は選びますね

いい感じの“糠”が私の中にできて

──ブログの話が出ましたが、ラジオやブログ、もちろん声優や歌手活動だったりという異なる活動の切り替えはどうされてますか? 

「あんまり切り替える方法って持ってないかもしれないです」

──自然に入っていける感じですか?

「そうですね。若いころは切り替えって概念は持ってました。ルービックキューブを回すみたいに。『バカボン』とか『らんま』とか作品によっても役によっても。すごく切り替え、切り替えっていうふうに30代ぐらいまでは思っていました。たぶん20代にすごい頑張ってたんだと思うんですね、自分のできないことも含めて。

 それが30代になると、できないことができるようになったり、できると思い込んでたことが意外と下手だったりとか。そんな慢心と反省と喜びといろいろ……。心のぬか漬けをグジュグジュ回してたら、適当にいい感じの糠(ぬか)が私の中にできて。もう手を突っ込めばいいやみたいな。樽(たる)は一緒なんだけど、糠が適当に……。いつもかき混ぜてないといけないのはいけないんだけど、かき混ぜてればいいだけですね

──ジャンルが異なる場合、それぞれにちょっと手をつけて、例えば半年とか1年くらいでやめる人が多い中で、林原さんはそれぞれをとても長く継続されています。それって、その“心の中の、頭の中の糠床”のかき混ぜ方というか、手の出し入れのうまさなんですかね?

「これは謙遜じゃなくて、歌うときに音をとるのがすごく下手なんです。セリフは行きたいところにすぐ行けるんだけど、歌は行きたい音にすぐ行けないんですよ。だからデモテープをもらったら1日中聞いてるし、たぶん100回じゃきかないぐらい聞きます。例えば、ドの隣にレがいるっていうのと、ドの隣にドがいるっていうのとの違いがありますよね。

 それをスケートでいうと、スーって滑れるみたいになるまでに時間がかかるんです。スケート靴を履いて氷にコンコン、カツカツってなりながら、壁や手すりを触りながらみたいな感覚で、デモ音源を聞いてずっとコツコツしてるんです。すごく聞き込むと、ある瞬間に身体の中にスッと入ってきて、ましてや詞も書いたりしていると、自分の中で1個に固まるんですね。そこに至るまでにすごく時間かかるんです」 

2017年『林原めぐみのTokyo Boogie Night』1300回突破記念の公開録音・ライブパートより(写真協力=キングレコード)

──水鳥と一緒で、水面下でものすごく努力されてらっしゃるんですね。

「でもそれを、あんまり努力って思ってないというか、当たり前って思ってるというか。最初の最初のレコーディング、生まれて初めてのレコーディングのときに、“ここのレコーディングスタジオ、1時間いくらだから早めにね”みたいなことを言われて(笑)。それまでは、“夜中までかかっちゃいました、レコーディング”とかミュージシャンが言ってるのをかっこいいと思っていたけど、そんなにお金がかかるんだと思ったら、それはできないと思って(笑)。なるべく早く終わらせなくちゃと下準備をすごくするようになりました

──そういう話を聞くから、またスタッフとかも林原さんのことを好きになるんでしょうね。一生懸命、お神輿(みこし)を担ごうって思いますもん、そういう話を言ってくれると。

でもなんか、すごく奢(おご)った言い方ですけど、プロってそういうものじゃないかなって思うんですよね

──それを言って許されるのは林原さんだけですよ。すごいですよ。そういないです。

「そんなことないですよ。だから、パーって歌える人とか本当にうらやましいですもん」

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*林原めぐみさんのロングインタビューはさらにディープに──。Part3は、6月14日12時公開予定です。

(取材・文/相良洋一)

【プロフィール】
林原めぐみ(MEGUMI HAYASHIBARA)/3月30日生まれ。東京都出身。高校卒業後、看護学校に通いながら声優を目指す。1986年にテレビアニメ『めぞん一刻』で声優デビュー。以降、数多くのアニメキャラクターを演じつづけている。ラジオDJ、歌手、作詞、エッセイ執筆など多方面で才能を発揮する存在。近著に『林原めぐみのぜんぶキャラから教わった 今を生き抜く力』がある。

■RADIO「林原めぐみのTokyo Boogie Night」
<地上波放送>
TBSラジオ(日)24:00~/ラジオ関西(土)23:00~
<web配信>
地上波放送の翌週火曜日正午12:00より、地上波放送と同内容で番組配信スタート!
https://cnt.kingrecords.co.jp/radio/hayashibara/

■林原めぐみオフィシャルブログ
https://lineblog.me/megumi_hayashibara/