1986年のデビュー以来、声優として『らんま1/2』早乙女らんま、『エヴァンゲリオン』シリーズの綾波レイや『名探偵コナン』灰原哀など人気作品のキャラクターを数限りなく演じているビッグネームが……そう、林原めぐみさん。
彼女のライフワークとも言えるのが、1992年からパーソナリティを務めるラジオ番組『林原めぐみのTokyo Boogie Night』(TBSラジオ、ラジオ関西)。2022年4月にはなんと30周年を迎えたんです。アーティスト、作詞家、母の顔も持つ多忙な日々のなかでも、これだけ長く続けられた秘訣(ひけつ)や取り組み方、そして思い出をたっぷりと語ってもらいました。
*今回はロングインタビューのPart3(最終回)です。
(Part2)林原めぐみさんロングインタビュー「ブログは向いてないです。普段はズバズバ言ってるけど──」
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声優を声優として目指した初めての世代かも
看護学校と声優養成所に在籍していた1986年に『めぞん一刻』の幼稚園児B・近所の女役でアニメ声優デビュー。そして1989年5月にはCDデビューしている。
──林原さんはすごく早くからブレイクというか世に出られたじゃないですか。その要因ってなんだったと思います?
「これは自分を卑下してるとか、謙遜してるっていうのとは全然別で、事実として、業界自体が新人を欲しがっていたんですね。『らんま』もそうなんですけど、少年少女の役をベテランの方たちが声をあてていらっしゃった。例えば、もちろん今も活躍されていますが、神谷明さんだったり、古谷徹さんだったり。ご年配の女性が少年をやられていたり……。そんな業界が、10代20代の人たちをすごく欲っしていたんですよ。
当時は声優の養成所もほとんどなかった。世の中に声優になりたいという人もあまりいなかった。売れない俳優がアルバイトとしてやってるという風習がまだ色濃く残る時代。もしかしたら声優を声優として目指した初めての世代かもしれませんね、私とか、『幽☆遊☆白書』の佐々木望君とかが。彼とは同じ養成所のほぼ同期です。私が1期生で、彼が2期生」
──時代の転換期というか動いていたんですね。
「若い人が入ってきたというにぎわいが色濃く……。そこにちょっと先輩なんですけども、例えば鶴ひろみさんだったり、本多知恵子さんだったり、川村万梨阿さんだったり、容姿も美しい先輩たちがいらっしゃったので、ご本人出演のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)を撮ったりという動きの中で、声優という職業が少し注目されるようになって」
“あなたはあなたでいいんじゃないの?”
──これ、日本のアニメカルチャー史ですね。ここ数年、急にクールジャパンとか言い出してますけど、そんなもんじゃない。まさに始まりのところにいらしたんですね。
「突先(とっさき)にいました。そのときは、飲みニケーションが当たり前な時代でしたので、楽しくてしょうがなくて、先輩のあとにくっついて飲んでましたけど、でもその中には、“声優は仕事じゃねえ”っていう先輩もいたし、洋画の吹き替えをやらなきゃ一人前じゃないとか、舞台をやらなきゃダメだとか、そういう風習が色濃く残る中で、ひそかに“声優で食ってんだから声優でよくね?”みたいな気持ちもあって。
すてきな先輩ほど、そういうことを言わないんですよ。“おまえはおまえのやりたいことやればいいんだよ”って。“舞台ってやんなきゃダメなんでしょうか?”と聞いたら、“やんなきゃダメなんじゃなくて、やりたくてやってるのよ、私たちは”とか、“あなたはあなたでいいんじゃないの?”って言ってくれたり。もちろん他方ではネチネチ、ダメダメ言う人もいて、非常に不安定な業界でしたね」
──そういう人たちはその人たちなりに不安感もあったんでしょうかね、声優だけをやることに対して。本当に5年後10年後も大丈夫なのかっていう。先輩たちも確信は持てていなかったのかもしれませんね。
「なんでしょうね、器用貧乏になるなっていうこともすごく言われたし。特に私と山寺宏一さんは(笑)」
それでも新たな潮流は決して止まることなく、むしろ勢いを増していった。
「若手がバッて集まってきはじめて、そしてレコード会社や各芸能プロダクションやさまざまな業界の人たちが、ワッと参入してきて、“アニメのミュージックシーンをちょっといただこう”みたいな。その渦の中に、たまたまいたっちゃいたんですよね。
だけど渦に流されて飛ばされちゃった人もいますし、やりたくもないのに歌をやらなきゃいけないとか、“なんでアニメキャラやりたいだけなのに歌まで歌わなきゃいけないの?”っていう人もいたし。
でも逆にいうなら、声優をやると、いろんなことができるようになってきたから、いろんな人が入ってきて。ライブもやります、写真集も出しますという感じで。その流れに、私もうわーって流れていったところに『エヴァンゲリオン』みたいな(笑)。その渦の中でずっと、ぼーっとしている感じです」
なんでもやれる自分でいたい
──新しいことをやるきっかけというのは、どちらかというと身を任せた感じですか?
「ボールが降ってきたから打って、降ってくるから打って、ってやっていたら、なんかが強くなったみたいな」
──自分でこういうのがやりたいっていうのは?
「ない、ない」
──ないんですね。
「だから昔のインタビュー記事を読んでみても、“今後やってみたいことは?”“特にありません”みたいな。でも特にないけど、話が来たときになんでも対応できるような自分でいたいっていうか。“ありません”って、後ろ向きなわけじゃなくて、なんでもやれる自分でいたいと思うっていう感じです」
──チャレンジ精神旺盛というよりは、やれる自分でありたいんですね。
「はい。来たら頑張るって感じ。来たときに考える(笑)」
声優以外の仕事にあまり興味がないという彼女に“来た仕事”で、後に多大な波及効果を与えたものが、
「ディレクターがまたうまいんですけど、“あんたを見たいって、地方の人が”って言われ、じゃあCDを買ってくれる人にだけ見せようってなって、CDの特典冊子としてCDサイズの写真集をつけたんですけど、そういう方式がかつてなかったんです、レコード業界に。だって当時のアイドルは、いつでもテレビをつければ見られるし、コンサート会場とかで会える。ご本人の写真集もカレンダーもある。あちこちの雑誌にも毎月載ってる。“でも、あんたのことを好きな人のほとんどが会えない、見られない”、“CDを買ってくれた人くらいには見せてやりなさい”と。結果、その小さい写真集は、もはや世の中の、ひとつの主流になりましたね」
──むしろ“特典つけないの、なんで?”ぐらいの感じですもんね、今や。そういうものも含めて近年の声優さんがどんどん表に出るようになったじゃないですか。これについてはどうお考えですか?
「でも、先祖返りっぽいなと思いますよね。昔は俳優として表に出ていた人がアルバイトとしてやるのが声優だと言われていたのに、今は声優をやっている人が表に出ていくっていうのが、なんか振り子のあっち側とこっち側で……。私はその真ん中にいたいなっていうか」
私が平気でも私を好きな人が傷ついたりする
──以前に林原さんが別のインタビューで、現在の若い声優さんについてお話しされていたことで印象に残っていることがあるんです。
《誰かに取って代わられるんじゃないかっていう恐怖を抱えてる子も少なくなくて、みんな“とにかくこなさなきゃいけない!”って自分を追い込みがちで》
《そんなに固く掌を握って手放すまいと、自分が持ってるものに執着しなくてもいい》
とおっしゃっていて。
「私も、なんでもかんでも打ち返していた時期もあるので。それによって感じたこととか見えたこととか、それによってチョイスできるっていう面も得たりもしてるので。楽しくやれていればいいんじゃないかなと思います」
──楽しくやれる範囲で。
「うん。目標に到達するまでの苦労とか頑張りは当たり前なんだけど、もっと負のイメージで、“なんで俺こんなことまでしなきゃ……”“なんで私こんなことまでしなきゃ……”って、仕事に追われ過ぎちゃうと、別の形で病んでいっちゃうので。そもそも、やりたくて入った業界だということは忘れずにいればいいと思います」
──優しいですね。
「あとSNSね。私の時代はそれがなかったから。あったところで、たぶん大丈夫だと思うんですけど、自分は(笑)」
──ブログもコメント書き込み機能をオフにしていたり、うまく向き合ってらっしゃいますよね、本当に。
「私のまわりには、わかりやすいアンチがいない気がします。いるのかもしれないけど、私の目には見えないんですけど。でもアンチをする人がいると、私が平気でも私を好きな人が傷ついちゃったりするので。“なんでそんなこと言うんですか。めぐさんをわかってない~”とか……。“いいの、いいの、言いたいんだから言わしときゃ”と私は思うけど。だけど、私のことを一生懸命かばおうとして頑張ってくれちゃう別の子たちがいることは考えます」
上手に読める、その向こう側に行くのが私たちの仕事
──それぞれの活動によって違う側面や考え方があると思うんですけど、声優活動のときはどういう心持ちで取り組まれていますか?
「役と作品のことしか考えてないです。台本を読むというよりは、その世界というか、その子の生い立ちだったりとか、その子の背景、裏側だったりとか。自分が口に出す言葉はもう、例えば私がA子ちゃんっていう役をやるとしたら、私がA子ちゃんになれるまで思考してる感じです。だから台本に書いてあることを、A子として思ったまま言うみたいな。思っていないのに、ただ読んじゃうとダメよね、みたいな。
例えば、“行け、モンスターボール”っていうセリフのボールの距離はどれぐらい? とか、今ピンチ? それとも肩慣らし? とか。中に入ってるモンスターの役だったら、“行け、モンスターボール”って言われて出てきたときに、もう戦闘態勢? それとも“やったー、やっと出られた、やっほー、なにする?”なの? とか。そういう感じですかね。モンスターも、一声鳴く、二声鳴くにしても、そのときの鳴きは、ボールの中で何を感じていたかっていう……」
──信じられないくらい考えてというか、没入して取り組んでらっしゃるんですね。
「それが楽しいからやってるっていう感じ。“そんなことまで?”とかじゃなくて、台本に書いてあることを読むだけだったら、すごく失礼な言い方だけど学校の先生でもできることだから。上手に文章を読める人はいっぱいいるけど、その向こう側に行くのが私たちの仕事なので」
──これまでで転機になった役や仕事は?
「もういっぱい。全部っていうか。バカボンもそうだし、もちろん綾波レイもそうですし、『魔神英雄伝ワタル』のヒミコもそうですし。それぞれの転機がありますね」
育てと仕事の両立っていうけど、両削りだなって
ビジュアルも声も若々しい彼女は1998年3月に結婚。そして1児のママでもある。
──演じるときにお子さんから受けた影響ってありました?
「わからないです。潜在的にはあるんじゃないかと思うけど、自分の子どもを直接なにかの参考にしたことはないですね」
──ご自分がママになって子育てしていて気づいたこと、気づかされたことはありますか?
「山ほどありますよ、そんなものは。もうキリがないですけど。一番思ったのは、子育てと仕事の両立っていうけど、両削りだなって。子どもの面倒を見ている間はお仕事を断らなきゃいけないし、仕事をやっている間は子どもを誰かに預けなきゃいけない。両立って言葉はないなって思いました。そういう美しい言葉が世の中にはあふれていて、美化するけど、違うなって。両削り」
──別のインタビューで、声優は不義理ができない仕事みたいなことをおっしゃってました。《寝ていないとか、声が出ないとか、そういったわたしの都合なんて一切関係なくて、不義理をせずに向き合わなければいけない場所》と。
「うん、そうね。関係ないですよね」
──本当に“不義理をせず”っていう表現が、林原さんの人柄や仕事への向き合い方を的確に表しているなっていうのをすごく感じます。
「それは自分もだし、自分のレコーディングをやっているパッケージスタッフでも同じだし。ある程度決まった給料でひっきりなしに働いてる社員に言うのもかわいそうだけど、CDを買ってくれた人が発売日の封を切るときの気持ちと、あなたが寝てないとか大変だっていうことは関係ないっていう……。買ってくれた人が封を切ったときのワクワクに対して、一度でも裏切ったら、もう次の仕事はないって思うんですよね。寝るな! 仕事しろ! というブラック企業という意味じゃなくてね」
──そこまでストイックな林原さんですが、声優のときとMCやパーソナリティのときは違う顔ですよね。どんな感じですか?
「こんな感じ」
──こんな感じですか(笑)。
「こんな感じが、向こうにいる感じ。ラジオを聞いてる人って感じ」
──リスナーと対話してる感じなんですか?
「そうですね。あとはたまにこっちのミキサーの人と“ねえ”とか話したりとか」
──またラジオ番組の話に戻りますけど、今後近いところでやってみたいことは?
「ないんです」
──あはは。そうかなっていう予感はしながら聞いてました。
「ですよね(笑)。インタビュー泣かせってよく言われるんですけど。30周年っていうことを改めて思うと、これを読まれている方が今いくつかなのかはわかりませんけど、この間ゲストに来た子に“私が生まれる前からやってるんですね”って言われたときに、その年数に驚愕(きょうがく)したんです」
女の人には“いい年して”がついて回る
──フムフムニュースの読者は比較的女性が多いのですが、林原さんのラジオや作品とともに年月を重ねた人も少なくないと思います。
「あえて女性がターゲットということを踏まえて言うと、たぶん、男性の場合は“少年の心をいつまでも忘れない大人”みたいな言葉は美化して言うじゃないですか。でも、少女の心を忘れないおばさんじゃないけど、少女の心を忘れない女性に関しては、なんか否定的な気がするんですよ」
──かもしれません。
「それ、おかしいなって思っていて。例えば新作の口紅が出て、“この年でこんな色ないわよね”とか。“いい年して”とか、女の人にはついて回るんですよ。私はそこを楽しもうよって言いたいですね。
30年たったから許せなかったことが許せるようになったり、憤ることよりも大切なことも見つけたし。だけど、ちっとも変わってない少女性が私の中にあるからワクワクしていられるんだと思うんですよね。でもワクワクすることを、日本ってなんか閉じ込めがちというか。だから新作の口紅を買ってくださいね、って思います」
──最高です。
「それで、見せびらかさなくていいから、自分1人でいいから塗ってね、って思う。100均でもいいし。自分には似合わないとか、年相応とか、それは言葉の呪いでしかないから。たぶん男社会の呪いなんだと思うんですけど、こうあってほしいみたいな。ぶち破ろうって思います」
──かっこいいですね。ラジオ番組以外でなにかやりたいこととかあります?
「ないです」
──ないですよね。10年後とかこれからの目標とかも……。
「全然ない(笑)。ゆっくりゆっくり自分の時間を増やしていこうかなっていう感じがしています。人生の中でお仕事を結構、詰め込んできたので、だからもう休みの日となると掃除とか家のことをどうしてもやらなきゃいけないけど、この間たまたま続けて番組が飛んじゃったりとか、コロナ禍で3日連続でお休みになったときに、1日バカみたいに掃除して、2日目は疲れちゃってなんにもしなかった。“家の中でなんにもしないって日がある?”と思って。すごく嬉しくてしょうがなかったので、なんにもしない日をいっぱい作りたいと思います」
これからもブギーな夜は多くの人の心をポカポカさせてくれるだろう──。
(取材・文/相良洋一)
【プロフィール】
林原めぐみ(MEGUMI HAYASHIBARA)/3月30日生まれ。東京都出身。高校卒業後、看護学校に通いながら声優を目指す。1986年にテレビアニメ『めぞん一刻』で声優デビュー。以降、数多くのアニメキャラクターを演じつづけている。ラジオDJ、歌手、作詞、エッセイ執筆など多方面で才能を発揮する存在。近著に『林原めぐみのぜんぶキャラから教わった 今を生き抜く力』がある。
■RADIO「林原めぐみのTokyo Boogie Night」
<地上波放送>
TBSラジオ(日)24:00~/ラジオ関西(土)23:00~
<web配信>
地上波放送の翌週火曜日正午12:00より、地上波放送と同内容で番組配信スタート!
https://cnt.kingrecords.co.jp/radio/hayashibara/
■林原めぐみオフィシャルブログ
https://lineblog.me/megumi_hayashibara/