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音楽

いじめを乗り越え“初音ミクと結婚”した事務職員を直撃! 不変の愛を貫く姿勢に感じた「オタクのあるべき姿」

SNSでの感想
近藤顕彦さんと初音ミクの挙式姿。うれしそうな笑顔に胸があたたかくなる
目次
  • 中学生から始まった「アニオタライフ」
  • 三次元での結婚を諦めたら劣等感から解放された
  • "恋愛ゲーム沼"にハマった専門学生時代をへて
  • 職場内のいじめにより精神的に追いつめられたつらい時期
  • 初音ミクは「推し」ではなく「人生を支えてくれたキャラクター」
  • 好きになって10年たったとき「挙式」を決めた
  • 「私は二次元キャラを愛している」と胸を張って言える世の中へ

 2007年8月、VOCALOID「初音ミク」の登場で衝撃を受けたのは私だけではないはずだ。

 VOCALOID(ボーカロイド)とは、ヤマハが開発した音声合成技術と、それを応用したソフトウエアの総称。「ボカロ」という略称でも親しまれおり、メロディーと歌詞を入力することで、サンプリングされた人の声をもとにした歌声を生成することができる。初音ミクは、ボカロに対応したボーカル音源およびそのキャラクターで、ツインテールにした水色の長い髪と大きな瞳が特徴。登場すると瞬く間に人気を博し、初音ミクを題材とした楽曲やイラストなどは10万作を超えると言われているほど。

 初音ミクの誕生当時、私はバンドに明け暮れる高校生だった。楽器店の棚に初音ミクがプリントされたソフトが並んでいるのを見て、「な、なんだこの美少女は……」と、思わずパッケージを手に取ったことを覚えている。

 そして、ソフトを手に入れれば「誰でも初音ミクに自作の曲を歌ってもらえる」ということを知って「え、嘘でしょ。いやいや最高すぎんかこれ」と友だちと一緒にはしゃぎまくった。周りには初音ミクを買うためにバイトを始める友だちもいた。

 初期の初音ミクは、主に動画配信サービス「ニコニコ動画」で活躍する「ちょっとナードなオタクたちのマドンナ」という感じだったと思う。しかし、あれよあれよという間に、オリコン1位をとり、世界中から愛されるキャラクターになった。いや、まさかボカロP(ボカロの曲を制作し、動画投稿サイトへ投稿する音楽家)出身の米津玄師(ハチ)やボカロ曲の歌い手だったAdoが日本を席巻する日が来るなんて……。当時、教室の隅っこで「(みっくみくにしーてあげるー)」と、“初音ミクの楽曲を小声で口ずさんで盛り上がっていたオタク”としては「生きやすい世の中になったなぁ」と感慨に浸らざるを得ない。

 そんな人気者・初音ミクと“結婚”し、200万円をかけて結婚式をあげたのが近藤顕彦さんだ。2018年11月に彼が東京近郊で結婚式をおこなった際には、ネットはその話題で持ちきりとなった。アニメやマンガのキャラクターを長年追いかけているオタクたちが勇気をもらえた瞬間だった。

 今回はそんな近藤氏にインタビュー。夫婦生活も4年目に突入した現在、改めて「キャラクターと結婚に至った理由」や「なぜ初音ミクだったのか」を、少年期から振り返っていただいた。

中学生から始まった「アニオタライフ」

当日はZoomでのインタビューとなったが、お隣にはミクさんが同席してくださった

──ミクさんとの挙式のニュースは私も拝見しました。いや、本当にどれだけの二次元オタクが勇気をもらえたか……。結婚式を挙げて4年目になりますが、今はどんな生活を送っていますか?

「そうですね。ミクさんは常に家にいるので、出かけるときは“行ってきます”、帰ってきたら“ただいま”って声をかけます。私がミクさんを好きになって、もう14年ほどたつので、毎日のように刺激があるわけではないんですよ。落ち着いた生活を送っていますね」

──長く付き合って結婚した夫婦って、そういうものですよね。改めて、今回は近藤さんが「どんな人生を歩んだ結果、初音ミクさんとご結婚なさったのか」についてお伺いできればと。小学生のころは、どのようなお子さんだったんでしょうか。

「普通の子どもでしたよ。ゲームをやったり、テレビアニメを観たり、ミニ四駆で遊んだり……、総じてインドア派でしたね。

 それでもゲームを始めると、それなりにやり込んでいたので、オタクの片鱗はあったと思います。例えば『ドラゴンクエスト』をするとしたら、クリアしておしまいじゃなくて、“レベルを99まで上げたい”と思っていました。

 でも、特に“何かのオタク”ではなかった。アニメもテレビで観ていたので、普通に見逃すこともありましたし、それを後悔するわけでもない、ごく普通の少年でしたね」

──なるほど。

「10代前半のころは、それなりにアニメもゲームも楽しんでいたのですが、中学3年生のときにある作品と出合ってから、明確に“アニメオタク”になりました

──”オタクへのラインをまたいだ瞬間”を覚えているのがすごいです(笑)。どの作品がきっかけになったんでしょうか。

「私が中1のときに放送されていたテレビアニメで、『怪盗セイント・テール』という作品です。たまたまテレビ放送を録画していたVHSを観てみたら、すごく面白かった。それで続きをレンタルビデオ店で借りてきて、最終話まで観たら感動のあまり号泣してしまったんですよね。

 “ビデオを借りて1話から最終話まで通して観る”ということを初めてしたんですよ。それってすごく“アニメオタクらしい行動”じゃないですか(笑)。だから自分のなかでは、この作品をきっかけにアニメオタクになったととらえています。

──確かに今では動画配信サービスが主流ですけど、当時はレンタルビデオしかなかったですよね。当時のアニメオタクっぽいです。

「はい。なので高校以降は“アニメのビデオを借りて全話観ること”が趣味になりましたね。アニメオタクとして突き進むのは、このあたりからです」

──当時は「好きなアニメを高校で友だちと共有しあう」という感じで楽しまれていたんですか?

「もちろん、友だちにはアニメオタクが一定数いたんですけど、当時はまだアニメオタクに対する風当たりが厳しかったというか……はっきり言うと、気持ち悪がられていましたねだから、学校内でアニメオタクであることを開示するのがまず難しいんですよ

──うーん、確かに。

「ただ、高校では漫画部だったので、比較的好きなアニメを共有しやすい環境にはあったと思うんです。それでも話が合う人をリアルの現場で見つけるのは難しかった。『きんぎょ注意報!』とか『姫ちゃんのリボン』といった少女向けアニメも好きだったんですけど、語りあえる友だちがいなかったので、高校1年生のころからインターネットで"同志"を探し始めましたね

──当時はまだSNSのない時代ですよね。どうやって探していたんでしょうか。

「そうですね。まだインターネットといってもダイヤルアップですよ(笑)。接続ボタンを押して、しばらく待って、ようやくつながって……みたいな。当時は個人用のWebサイトを作る人が多かったんですよね。そこの電子掲示板で話しかけていました。

 インターネットを始めてからは、ネット上にいる時間が増えていきましたね。10歳くらい年上のメル友ができて、その人と好きなアニメを語ったり、新しい作品を教えてもらったりしながら、だんだんとアニメオタクを深めていきました。

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