職場内のいじめにより精神的に追いつめられたつらい時期
──社会人になっても、仕事もプライベートも順調だったわけですね。
「社会人になって3年間は中学校の事務員としてお仕事をしていて、その職場では順調だったんです。でも、4年目の22歳のときに異動で赴任した小学校でいじめに遭いました。着任した4月から、もういじめが始まっていましたね」
──そうなんですね……。何かきっかけがあったのでしょうか。
「そうですね。もう4年目なので、私も仕事のやり方をだんだん覚えてきて、周囲に“改善したほうがいい点”などを伝えるようにしていたんです。それが癇(かん)に障ったのかなぁ、と思います。でも、いじめてきた本人から聞いたわけではないので、正しいきっかけは分からないですね」
──答えにくいことをお伺いして恐縮なのですが、どのようないじめに遭っていたのでしょうか。
「私は県の学校事務なので、事務室に勤めていました。同僚は県の事務職員、市の事務職員、用務員、栄養士という組み合わせなんですね。私は用務員さんと市の事務職員の方の2人にいじめられていました。
内容としては、まず出社して挨拶するときに無視されるんですよ。それと“仕事に必要な備品を私の依頼品だけ買ってくれない”とか、“業務上の会話で、ものすごくつっけんどんな返答をする”といったものは毎日続きました。
それと事務室の共用キッチンで、“わざと聞こえるように私の悪口を言いあう”ということもありました。これがいちばんつらかったですね」
──なんというか……かなり陰湿ですね。
「そうですね。すごく低次元ないじめでしたね……高次元ないじめなんて存在しないと思うんですけど。
最初はいじめを我慢していたんですけど、半年後の10月に突然“眠れない”という状態になりました。“夜中に目が覚める”とか、“寝つけない”という状態がずっと続いて……。そのときに初めて、親に相談したんですよね。もう泣きながらです。
それでも耐えられたのは、私をいじめていた市の事務員さんが3月に辞める予定だったから。でも1月くらいに、“もう1年続ける”ってなったんです。それで、“ちょっと、もう無理だ”と耐えきれなくなってしまいま
2月には仕事に集中できなくなりました。書類を作ったりパソコンで入力したりする作業がうまくできなくなったんですよ。それで病院にかかったら“適応障害”と診断されて、学校に診断書を提出して休職することになりました」
──いや、無理して耐え続けずに「休職」にたどりつけてよかったです。
「すごく冷静に考えたら、辞めればいいわけですよね。でも、仕事が本当に大変で自死を選んでしまう方の気持ちがわかるんですが、心が弱っているときって、どうしても冷静な判断ができなくなるんですよ。
私も追いつめられていた時期に友だちから“辞めればいいじゃん”っていわれて、“あ、そういえばそんな選択肢もあるな”と気づいたくらいでした」
──確かに、精神的に追いつめられると自分を責めてしまいますよね。本当に休職できてよかったです。どのくらいの期間お休みされていたんでしょうか。
「およそ2年です。ほぼ家にいて、薬を飲みながら生活をしていました。ただ毎日、“これからどうしよう”という強烈な不安を感じていました。
要は復職をしようにも、その職場に戻らなきゃいけないので、いじめてきた2人がいる限りどうしようもないじゃないですか。だから戻りようがなくて、将来への不安ばかり感じていたんですね。
好きだったゲームをやったり、アニメを観たりしてはいたんですけど、まったく面白く感じなかったです。惰性でやっているような感じでした」
初音ミクは「推し」ではなく「人生を支えてくれたキャラクター」
──無意識にでも「好きなゲームやアニメをしていなきゃ、心が不安に押しつぶされてしまう」という感覚もあったのかと思います。そんなつらい時期を乗り越えられたきっかけを教えてください。
「この時期に、初音ミクと出会ったんですよ」
──このタイミングだったんですね。
「はい。『初音ミク』という存在を知ったのは、2007年8月31日に発売されてすぐだと思います。ただ、好きになったのは2008年の5月くらいですね。初音ミクの曲を聞くうちに、“楽しい”という感情がだんだん蘇(よみがえ)ってきた。これが私にとって、すごく大きな出来事だったんです」
──初音ミクのどの部分が近藤さんの心に響いたのでしょうか。
「『ミラクルペイント』(作詞作曲:OSTER project)という曲を聴いたときに胸を打たれたんです。好きになったきっかけは、彼女の“歌”だったんですよ」
──『ミラクルペイント』は、おしゃれでジャズっぽい曲というか……。必ずしも「元気いっぱいの曲」という感じではないとも思うのですが、どのあたりが響いたんでしょうか。
「“なんでミラクルペイントだったのか”はわからないのですが、“これは音楽のいちジャンルとして無視することはできないぞ”という感覚はありましたね。初音ミクという架空のソフトウエアに歌わせているという“新しさ”が好きだったんだと思いますよ」
──確かに初音ミクは今考えても、本当に画期的でしたよね。「歌」から入ったといっても、キャラクターとしても好きだったんですよね。
「はい。前提として、私はもともとアイドルにハマった経験はなかったんです。世代的にモー娘。やSPEEDが流行(はや)っていたんですけど、ピンとこなかったんですよね。
だから初音ミクがはじめて好きになったアイドルということになりますね。二次元ですし、人外ですし、私の好きな属性にもピッタリだったんだと思います」
──なるほど。「近藤さん自身の心が弱っていた」というタイミングも大きいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
「境遇はすごく大きかったです。当時は本当に、彼女の存在が生活するうえでの“支え”でしたね。“初音ミクに触れる”ということで精神的に安定する感覚がありました。ずーっとVOCALOIDの楽曲を聴いていて……。7000曲くらい聴きましたね。
だから、“寝る前に子守歌代わりにミクさんの曲を聴く”とか、“眠れないときにミクさんのぬいぐるみを抱きしめて眠る”ということもしていましたよ。
そのうち、だんだんメンタル的に元気になっていったんです。すると何の因果か、私をいじめていた市の職員さんはお辞めになって、用務員さんはお亡くなりになってしまったんです。それで環境的にも復職できることになりました」