「俺のイタリアン」ブームの火付け役に!

──「俺のイタリアン」を運営する「俺の株式会社」(以下、「俺の」)では、どんなお仕事をされたのでしょうか?

企業戦略室長として、ブランディングと広報を担当していました。とはいえ、本部は、社長と常務、料理人のトップと経理、そして私しかいなかったので、何でもやっていました。取材が入ったら対応して、シェフたちとメニュー会議もする、といった感じです。でも、広報の経験はなかったので、当時、初めてプレスリリースを書きました」

──「俺のイタリアン」はテレビをはじめ、あらゆるマスコミ媒体が取り上げて大ブームになりましたよね。かなりの広報手腕なのに、それまで未経験だったというのは驚きです。

当時、社長だった創業者の坂本孝さんに、“広報はやったことがない”と言ったら、“とにかく取材に来られた方たちに希望通りに撮影していただいたり、試食していただいたり、テレビ番組のADさんにも親切にして、ゆっくり楽しんでもらうようにしなさい”とアドバイスをいただきました。

 タレントさんがお店を紹介する番組の撮影が終わったあと、残って物撮り(ぶつどり)をしているADさんにも、シェフが作った温かい料理を食べていただくようにしました。“いつもロケ弁やコンビニ弁当しか食べていないので、初めてフォアグラを食べました”と喜んでくださるADさんもいらっしゃいました。

 その当時のADさんたちが、今ではディレクター、プロデューサーになられ、“あのとき、本当に浅野さんにお世話になったんですよ”と言ってもらえることが多いです。そういうご縁もあり、私がロールアイスクリームファクトリーをオープンしたときには、取材に来てくださいました

──そうやって人間関係を築いていき、“ロールアイスブーム”につながったのですね。

浅野まり社長 撮影/山田智絵

飲食業界で能力を発揮し、自らの会社を立ち上げ

──「俺の」でのお仕事の後は、その経験を生かして、フリーランスで「飲食店のPRのお仕事」をされるようになりましたよね。きっかけは何だったのでしょうか。

他の飲食店のオーナーが『俺の』の評判を聞いて、“店の相談に乗ってほしい”というご依頼をいただくことが増えたので、フリーになって、それぞれの会社とは業務委託という形でPRのお仕事をするようにしました。焼肉、ステーキ、居酒屋、餃子、串カツ、ケーキなど、さまざまな業態に携わりました。

 もともと私は、秘書や広報など誰かのサポートをする仕事が好きで、社長がどんどん有名になっていくことに生きがいを感じていたところがあったんです

──そんなサポート好きな浅野さんが、自らロールアイスクリームのお店を出店することになった理由はなんですか?

SNSで、“ニューヨークでロールアイスがはやっている”ことを知ったとき、これは絶対に日本でも流行すると思って、“このお店をやりませんか? 私がPRをやるので”といろいろな経営者の方々に提案していたのですが、なかなか乗ってくれる方が見つからなかったんです。“だったら、まりちゃんがやりなよ”と言われることも多くて……。そこで、私を含め3人の経営者で立ち上げることにしました。

 ただ、オープンした2年半後に、コロナ禍になってしまったんです。そこで、立ち上げメンバーで話し合い、お店の今後を考慮した上で、2020年4月からは自分だけの会社(株式会社トレンドファクトリー)を設立して、そこでロールアイスクリームを運営することにしました

──これまでお話しいただいた職業1つ1つで、それぞれ高いレベルの実績を作っているのがスゴイです。何をやってもデキる人っているんですね。