ライブMCの説教が大ウケ、コラムを書いたら話題に

──バイトをしながらバンド活動をされて、そこからどのようにライター業を始めましたか?

当時、恵比寿に『みるく』というクラブがあって、よくロマンポルシェ。で出ていたんですよ。そうしたら、“君、曲の合間のしゃべりが面白いから文章を書きなさい”ってお店の人に言われて、その店で配っていた『Tokyo Atom』っていうフリーペーパーで連載することになったんです

──どういう内容を書いていたのですか?

「ライブでしゃべっていた説教の内容をまとめて書いていました。それを読んだ出版社の人が、今度はコラムの仕事を持ってきてくれたりして、気がついたらいろいろな雑誌でコラムの連載をするようになりました。それだけで食えるようになったので、2000年6月にはバイトを辞められたんですよね

──それまでは、バンド活動をしながらバイトをしていたのですか?

「'97年からロマンポルシェ。の活動を始めたんですけど、'98年にCDを出して、最初の連載が'99年から始まりました。当時はビルの窓拭きをやっていたんですけど、このビル近辺(注:主婦と生活社がある東京都中央区京橋)もよく来てましたよ」

──ビルの窓拭きというと、高さが怖いような気がしますが……。その辺は大丈夫でしたか?

「大丈夫でしたね。いろんな仕事を3日でクビになっていたけれど、窓拭きは性に合っていたんです。頭は使わずに手だけ動かしてればいいから、俺には簡単だったんです」

──バイトで印象に残っているエピソードってありますか?

キューンソニー(注:現キューンミュージック)が入っていたビルの窓拭きもやっていて、俺がビルの外にロープを垂らしてブランコで外の窓を拭いていたら、中にいた、まだ高校生くらいだった篠原ともえさんが全力で手を振ってくれたんですよ(笑)

──いい話ですね。掟さんは、仕事をクビになった時に相手に対して何か怒りとか感じますか?

自分が悪い場合もあれば、そうじゃない場合もあるだろうしね。でも合わない仕事はやっていてもしょうがないから、辞めりゃいいんじゃないですか。昔は1つの仕事を2年、3年は続けないと、その仕事が本当に向いてるかどうかわかんないみたいなこと言われたけれど。今は若いんだったら我慢せずに辞めてもいいんじゃないのと思います

掟ポルシェさん 撮影/山田智絵

──ほかに仕事が見つからないかもと思うとなかなか踏ん切りがつかないと思いますが……。

「年を取ってから仕事を3日で辞めて、“今45歳です。明日からどうやって食べていこうかな”っていうのはまずいとは思うけれど。若かったら自分に合った仕事を見つけるために辞めてもいいと思うけれどね。まぁ、会社としては迷惑だけどね、すぐ辞められちゃったら(笑)。

 でも世の中にはブラックな仕事もあるし、“やばいな”と思ったら早めに逃げたほうがいいよ。俺だって、今やっている仕事は自分に向いているからやっているだけなんですよ。事務仕事が得意な人はそれをやればいいし、俺はまっとうな頭脳労働ができないからくだらないことをやって糊口をしのいでいるだけで

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 第2弾インタビューでは、女子プロレスにハマり借金を背負った過去や、PerfumeやBerryz工房をブレイク前から応援していた掟さんならではのアイドル文化への思いなどを聞いていきます。

(取材・文/池守りぜね)

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〈PROFILE〉
掟ポルシェ(おきて・ぽるしぇ)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『別冊少年チャンピオン』(秋田書店)、『UOMO』(集英社)など多数。2018年に発売した著書『男の! ヤバすぎバイト列伝』(リットーミュージック)は重版されてヒットとなり、各所で話題を呼ぶ。最新刊は『食尽族〜読んで味わうグルメコラム集〜』(リットーミュージック)。そのほか俳優、声優、DJなど活動は多岐にわたる