人生の折り返し地点を過ぎると、親しい人との別れが身近になってきます。親や配偶者、友人たち……。大切な人を見送ったあとをどう過ごすかは、人生100年時代の大きな課題でもあります。
サカキシンイチロウさんは、これまで1000社以上の飲食店を育成してきた、知る人ぞ知る外食産業コンサルタント。ほぼ365日、朝・昼・晩問わず、あらゆるレストランへ出かける、いわば“食べることのプロ”。ブログやFacebookでは、おいしい店の見つけ方、付き合い方を発信していますが、そこには、2年前に亡くなったパートナーとの思い出も度々登場し、「おいしい記憶を分かち合える人がいる幸せ」を読み手に気づかせてくれます。
「つらいときほど、食べることを大切にしなくちゃいけない」というサカキさんに、ご自身の体験を綴っていただく短期集中エッセイ第3回です。
◎第1回:【サカキシンイチロウさんが綴るパートナーとのおいしい記憶#1】最愛の人を失った夜、ひとりで食べた冷凍うどん
◎第2回:【サカキシンイチロウさんが綴るパートナーとのおいしい記憶#2】ボクらがたどり着いた“世界一のサンドイッチ”
ふたりの料理は種類も量もたくさん
ふたりとも料理をつくるのが大好きでした。
作りはじめるとたくさん作る。種類もたくさん。量もたくさん。ご飯を3合、卵を4個使ったオムライスだとか、じゃがいもを1袋入れた肉じゃがだとか、今日も作りすぎちゃったって笑いながら、みんなお腹の中にストンとおさまっていた。
漫画の仕事で生活できなかった時代が長かったタナカくんは、飲食店でバイトをしていたことがあったのですネ。だから料理は上手だった。
お店の料理がおいしいのはたくさん一度に仕込むから。大抵の料理はたっぷりの量を作ったほうが、おいしくなってくれるもの……、って。たくさんの量をいつもニコニコ、作ってた。
ボクもその考えに賛成で、例えば一度、とあるホテルの宴会で提供されたフレンチドレッシングがあまりにおいしく、シェフにたのんでレシピをもらった。そしたらそれが500人前というもので、それぞれの食材を100分の1に置きかえると、塩は耳かき半分程度、玉ねぎなんてピンセットでつまんでひとかけって、あまりに現実的でない分量。作るのをあきらめたことがある。
料理にはおいしくできる最低限の量というのがあるのです。
だからひとりになっても、作る料理の量が減らない。ひとりじゃ食べきれないで、残した料理が冷蔵庫や冷凍庫の中にたまっていきます。温め直して翌日食べたり、なにかをくわえて別の料理にしてみたり、工夫するけど、残り物を食べてるんだと思うとなんだかかなしくなって、料理を捨ててしまうこともよくあった。