吉田羊、大原櫻子ら演技派女優の共演が話題の舞台『ザ・ウェルキン』。殺人罪に問われた女性死刑囚に対峙(たいじ)する陪審員役を個性豊かな女優たちが演じる中、12回も流産した経験を持つヘレン役を務めるのが、明星真由美(みょうせい・まゆみ)さん。演劇好きなら、一度はその名前を目にしたことがあるのではないでしょうか。
妄想好きだった少女時代をへて、スポーツマネジメント系の専門学校に入学するも早々に退学。バイト中に読んだ鴻上尚史のエッセイに感銘を受けて早稲田大学演劇研究会の門をたたき、舞台デビュー。女優としてキャリアを積む中、友人の誘いで足を運んだロックバンド・氣志團のライブに魅せられ、スタッフを志願。気づけば明星さんは女優を休業し、氣志團のマネージャーとして奔走する日々に……。
(明星さんの学生時代から、演劇を始めた早大劇研時代までの思い出深い出来事や、独立してから氣志團のマネージャーになるまでの悲喜こもごもは、インタビュー第1弾で語っていただきました。記事:「厳しいよりも、退屈がつらい」舞台女優→氣志團マネージャー→舞台女優と歩んだ明星真由美の“諦めない人生”)
人間として生きていくのが精いっぱいだったマネージャーの日々
──氣志團のマネージャーを始めたころは、おいくつでしたか?
「29か30歳ぐらいです。デビューしてからしばらくはスタッフが私1人だったので、車の運転からスケジュール管理まで、全部やっていましたね」
──マネージャー業を始める前にいらした芸能事務所(『シス・カンパニー』。現在も所属)には籍を置いていたのですか?
「ありがたいことに社長からは、“休業というかたちにすればいい”とおっしゃっていただいたのですが、私は、“そんな甘っちょろいことでは、事務所のみなさんにも申し訳ない”と思って、社長には“女優はやめます”とお伝えしたんです」
──決断力がおありですよね。周りの反応はどのような感じでしたか?
「事務所の社長から“1年続けたら、自分がその仕事に向いているかいないかわかるだろうから、1年たったらもう一度考えてみなさい”という助言をいただきました。でも、気がついたら4年もたっていました(笑)」
──メジャーデビュー後には一気にブレイクし、氣志團を取り巻く環境も変わったと思います。当時は、どのような毎日を送っていましたか?
「舞台のことも思い出せないほど忙しすぎて、“人間として生きていくのが精いっぱい”というほど大変だったんです。わずかな寝る時間を取るか、お風呂に入る時間をとるかっていうような状況でした。コンサートのディレクターみたいなこともやり始めてしまって、いわゆるマネージャー業以外のことも担当していたんです。本来、クリエイティブなことは関係しなくてもよかったんですけれど、そっちの仕事が楽しかったんです」
──女優休業中の期間に、氣志團が出演した宮藤官九郎さんのドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系・2002年)にゲスト出演されていますよね。
「当時、“演劇をやめて、氣志團のマネージャーを始めます”っていうお知らせを、会う人会う人にしていたんです。その中に宮藤さんもいらして、そのご縁で出させていただきました。宮藤さんは、“氣志團のことは知っているけれど、まさかマネージャーに!? ”って驚いてらっしゃいました。そういう(氣志團の)布教活動も同時にやっていたんですね」
──氣志團が売れるために、マネージャーとしてそこまで一生懸命になれた理由は何だったと思いますか?
「やっぱり、氣志團を初めて見たときに、“今まで自分が演劇でやりたかったことを彼らは全部やっているな”って感じて惚れ込んだことが大きかったのかなと思います。ステージや物事に向き合う真摯(しんし)さや、お世話になる方々への敬意の表し方も勉強になりますし、團長である綾小路翔さんがクリエイターとしてすばらしい方だと感じていました。そういう存在の近くにいられたという意味でも、マネージャー業はすごく面白かったです」
氣志團は「戦友」。マネージャーを離れ女優に復帰したワケ
──マネージャー時代は、KISSES(氣志團のファンの総称)からやっかまれたりしませんでしたか?
「それが、意外となかったんですよ。私、アイドル的な人気がある男優さんと共演しても、恨まれた覚えが一度もなくて(笑)。逆に応援してもらえるようなことが多かったですね」
──明星さんのお人柄でしょうね。2005年には、マネージャー業をやめて女優に復帰されています。何かきっかけはあったのでしょうか。
「東京ドーム公演(2004年11月27日『氣志團現象最終章“THE LAST SONG”in東京ドーム』)が終わってひとつの区切りを迎えていましたし、もう体力的に限界だったっていうことも大きかったです。やっぱりマネージャーとして走りきって、恋愛もそれ以外も、自分のことは何もできない4年間だったんですよ。あっという間に4年が過ぎて、ふと、“自分を表現するにはマネージャー業だけでは物足りない”っていう気持ちと、これ以降は氣志團が、“私と一緒に何かを作っていく”というより、アーティストとして自分たちだけで成熟していくターンになっていくのかな、って感じたんです」
──マネージャー業を全力でやりきったからこそ、次のステージに進みたくなったんでしょうか。
「今後もこの生活をダラダラ続けていると、おそらく私は10年後のお正月にも、独身のままメンバーのお酌をしているんじゃないかというイメージもパッと浮かんだりして(笑)。“今が区切り目だな”っていう思いがありましたね。コンサートのクリエイティブスタッフの1人として残りたい、という気持ちもわいたのですが、翔さんは離れていく人や仲間の心の機微に敏感で、“やりたいことがあるなら、まずはそっちをやってみれば”と言われ、マネージャー業をやめることになりました」
──明星さんから見て、氣志團はどういう存在だと感じていますか。
「戦友だと思っています。一緒にいて、勉強させてもらうことが山ほどありました。翔さんをはじめ人情味あふれるメンバーが大好きで、これからもずっと応援していますし、彼らが何をやっていくかっていうことを、私はこれからも興味深く見続けていくと思いますね」