内臓が弱まり、舞台が怖い……。玄米菜食で体質改善

──約4年ぶりの舞台復帰後、演技のカンはすぐに戻りましたか?

「いいえ。時間がかかりました。すぐに演技を再開、というよりも、ちょっと体調を取り戻すというか、人間として生き返るために時間が必要でしたね。自分の中で“演劇第1章”と呼んでいる期間(休業する前まで)は、“こういう作品に出たい”、“誰と仕事がしたい”っていう目標があって、自分のやりたいことや当時の夢はほぼ全部、消化できていたんです。だから、第2章(復帰してから)では、もう何もない状況だったっていう……。表現する場を求めて舞台に帰ってきたけれど、最初はモチベーションになるものがなくて、それが本当にしんどかったですね

──体調も芳しくなかったのでしょうか……。

「いま振り返ると、4年間のハードワークで、内臓もそうとう弱っていたんだと思うんです。内臓が悪いせいもあってか、舞台に対してもやたらと恐怖心がわきますし、しばらくは苦しかったですね。舞台って、気力・体力とモチベーションがないと、本当に恐ろしい場所でしかないんですよ」

──「舞台には魔物が潜んでいる」という言葉もありますが、まさにそのような経験をされたのでしょうか。

復帰第1作の『エドモンド』(長塚圭史演出、2005年上演)が、もう本当に“パニック寸前”っていうくらいしんどかったです。会場は青山円形劇場(2015年閉館。ステージを囲むように360度すべての方向に観客席があった)で、私の長台詞から舞台が始まるのですが、一斉に自分に向けられる観客の目が気になったり、“失敗したらどうしよう”という恐怖にかられたりで、スカイダイビングをする直前みたいな、“ワーッ”って言って逃げ出したいくらいに怖かった

──怖いと言えば、厳しい演出で有名だった蜷川幸雄さんの作品(『ロックミュージカル ボクの四谷怪談』2012年上演)にも出演されています。稽古場が怖かったと言うことはなかったんですか?

「ああいう偉大な方々は、“怖い演出家像”をご自分で演出されている部分もありそうですからね。実際は全然、怖い方ではなかったです。蜷川さんはおっしゃっている内容がどれも面白くて、全部メモしたいぐらい。その印象のほうが強かったですね

──では、舞台への恐怖心はどうやって克服されましたか?

まずは心身を整えようと、玄米菜食から始めました。かなり勉強して、身体にいいと言われる食事法を徹底しまして、お肉もやめれば、砂糖やアルコールも控えるようにしました。そうしたら、不思議と心の浮き沈みがなだらかになっていったんです。体調がよくなるとともに、心の波がだんだん緩やかになることで、舞台上で“うわーっ”てなるような緊張がなくなっていきましたね。感情のコントロールもしやすくなりました

立ち姿も雰囲気がある。明星さんは、玄米菜食の勉強もしかり、必要だと思ったことや自分に足りないと思ったことに対しては、かなり本腰を入れて研究を重ねるそう 撮影/廣瀬靖士

自宅に向かって話しかけたら結婚が決まった──!?

──心身の健康と人間らしい生活を取り戻された明星さんですが、今から10年前の2012年には、ご結婚もされています。独身のままだったかもしれないという生活から、結婚に至ったきっかけはありましたか?

「マネージャーをしていたときに住んでいた表参道の家での暮らしが、本当に楽しかったんです。でも、“このままだと、一生ここで独身だな。何の不自由もないけれど、もうちょっと負荷を背負いたいというか、誰かと一緒になったほうがいいんじゃないか”って思って。それで、不思議な話なんですけれど、ある日ふと自分の家に向かって、“私、この家にいると結婚できない気がする。そろそろ結婚を考えようと思うんですけど、相談に乗ってもらえませんか”みたいに話しかけたんですそうしたら、その家を出る日に、今の夫からプロポーズをされたっていう

──すごいタイミング! 家が導いてくれたのでしょうか。明星さんは、ターニングポイントと思える出来事に直面しても、迷わない印象がありますね。

「はい。 “(人生において)ググっとカーブするときを見逃すな”っていう言葉を聞いたことがあるんですけれど、やっぱり、そういうときに疑問に思わず“まずは流れに乗る”っていうことを、今まで自然とやってきているかもしれないですね」