ずいぶん呆気ないと思った

 深夜2時をまわった頃、やはり電話が鳴った。

 症状について何と言われたかは忘れてしまったが、かなり数値が低下しているので、今から来るか、改めて明日の朝に来るかということを確認されたように記憶している。迷うことなく、今から行きますと返事をした。

 バッグの中に、その友達みたいな写真集を入れて、ほとんど車がいない夜の甲州街道を病院へ向かう。

 警備員さんに中へ入れてもらい、検温をして消毒をして待っていると、病棟の看護師さんが迎えに来てくれた。

 病室へ行くと、息を引き取った後だった。

 当直の医師が呆気ない様子で、死亡確認をした。人生の締め括りなんだから、もう少し心を込めて言ってくれたらなあと思いつつ、そういうものだと納得しながら、僕は深々と先生にお辞儀をした。ベッドの横に置いてある、愛猫「チョビ」の写真がずっとこちらを見ていた。

 病院側が準備をする間、霊柩車の手配をすると、到着まで1時間とのこと、僕は待合室で写真集を開いてぼんやり眺めていた。人生のさまざまな感情の滲みのようなものを写した写真集が、今日手元に届いたのも、この時間を乗り越えるためだったのかもしれないなあと思った。

 自分の中に湧き上がるさまざまな感情を、その写真集が優しく受け止めてくれた頃、霊柩車が到着した。葬儀屋さんが深夜なので今日は遺体をお預かりして、詳細は改めてまた明日ということで、霊柩車は葬儀社へ向かい、僕は自宅へ向かった。もう夜が明けそうな空を眺めながら、ずいぶん呆気ないと思った。

 養母の父親は「葬式不要、戒名不要」と、言い残して亡くなったことから、当家の慣例に従い、直葬として養母の姉と見送った。

 棺の中にはベッドの横に置いてあったチョビの写真と手紙を入れた。

愛猫・チョビの写真 撮影/伊藤和幸

 年齢が八歳上の姉の気持ちを思うと、その関係性は母親のようであり、姉であり、かけがえのない友人でもある。姉妹の絆、胸中は察するに余りあると言える。亡くなった報告をした時、僕は思わず涙を流してしまったが、姉は「あなた本当によくやってくれたわよ……」タバコを燻らせながら、そう僕をねぎらってくれた。