最後まで気がかりだったこと

 アルツハイマー型認知症、パーキンソン症候群という病は、ずっと養母を苦しめた。身体は言うことを聞かず、全く動かなくなっていく。

 コロナ禍になる前に面会が普通にできた頃には、僕のことは分かるけど、昨日や今日のことは記憶として蓄積はされず、更新もされないという状況だった。

 容体がかなり傾きかけて、亡くなる少し前に、特別に面会をさせてもらった時、身体にたくさんの管がついた状態であった。看護師さんが調子のよい時にはお話ししてくれるんですけれど……と言っていたけれど、僕にはそんなふうには見えなかった。ただただ静かに寝ているように見えた。

 まだ療養型病院に入る前の意識がはっきりしていた頃、病室で「あなたにお姉ちゃまを残してごめんね、本当は私がみないといけないのに……」。

 そう胸の中の想いを語ってくれたことがあった。

 突然、最後のお別れみたいな言葉を話すものだから、その時も僕は、思わず泣いてしまったのだけれど、まだ少し動いていたその手で優しく頭を撫でてくれたことがあった。

 その後から、話もどこか雲をつかむような感じになって、身体は言うことをきかなくなって、完全に寝たきりになってしまった。

 最後の時、僕のことをちゃんと覚えていてくれたのかなあ?

 彼女の人生のわりと最後の頃に、彼女、いや姉妹の養子として、家族になった僕にとって、それがずっと最後まで気がかりだった。

 だけど考えてみれば、覚えているかいないかの事実はともかく、僕の中ではその病室での会話が最後のお別れだったと思っているのだから、覚えていてくれたということにしておこうと思う。

(第2回は11月3日18時公開予定です)

要一郎さんの著書。左が『僕の献立 本日もお疲れ様でした』、右が2冊目の『僕のいたわり飯』(いずれも光文社) 撮影/伊藤和幸