僕は熟考し一瞬で決めた
祖父が亡くなった時、僕がその会社を担うにはまだ若すぎて、僕の立場は当たり障りのない社長室長という役職をあてがわれた。それは、会社の上層部の面々が、自分たちの立場を守ったと言うことも意味する。
パワーバランスを失った会社は、しばらく混乱期が続いた。祖父と僕しか面識のない株主のご隠居が「今日から俺がお前のじいちゃんだ」そう言って、ある大企業の仕事を世話してくれたことは今も感謝している。
ある銀行員は窮地の時「私は今から独り言を言います。気になさらないでください」と言いながら、その時の融資に欠かせない重要なヒントを教えてくれた。
いろいろな人が自分の気持ちで、僕を助けてくれた。まるで『ロード・オブ・ザ・リング』のような20代だった。
成長し、責任も増えていく中、無理をしすぎて、感情は薄れていき、いろいろなことに耐えられなくなり、その道から外れてしまった。手帳に記された予定は10分刻み。僕がやらかしたわけではないのに会社の体裁のために謝罪行脚。従業員の家庭問題の解決。自分の時間はほとんど皆無。同世代の友人たちは、もっと自由で楽しそうだった。
僕には僕の人生がと思いながらも、24時間365日、安定的な立場を守り会社のために生きるのか、それとも24時間365日、不安定でも自分のために生きるのか、僕は熟考し一瞬で後者に決めた。
そして会社を離れることは、自由と引き換えに、さまざまな軋轢を生んだ。僕は祖母から、養子の離縁をされた。情けなさを噛み締めながら、僕の新しい人生はそこから始まったのである。
(第3回は11月4日18時公開予定です)