家にも、学校にも、自分の居場所はどこにもなかった
──「ゲームにすごく救われた」と言っていましたが、学生時代は過酷な日常を送られていたとお聞きしました。言いにくいことを聞いて申し訳ありませんが、当時何があったのでしょうか?
「小学生のときは外見が理由で、クラスであまりよい扱いをされておらず、中学生になるとクラス内でいじめみたいなことをされていました。その場にいるだけで笑われたり、どつかれたり、休み時間に殴られたり、物を取られたり……。
当時、ジブリ作品の『耳をすませば』にすごく憧れを抱いていて。あんな青春時代を送りたいと思っていたけど、そんな日々を送っている自分が到底叶えられるはずもなく。むしろ“不幸じゃなければそれでいい” “誰もかまわないでくれ”と思っていました」
──家庭内でもつらい状況は変わらなかった。
「母親が、かなりヒステリックな人だったんですよ。特に小学校高学年〜中学1年生のときがいちばん激しくて、約束事を守れなかったら“裸で町内一周走ってこい”と全裸で外に出されたり、検尿を飲まされたりすることもありました。それでも当時は母親しかいなかったから、“どんな形であれ、この人は自分をいちばん大切に思ってくれているはず”と思っていました。
だから、中学1年生のときに母から“再婚したい”と話があって、自分が第一じゃなくなることが怖くて反対したんですよ。そしたら、“私だって女だ!”と絶叫されて。今思い返すと至極真っ当なことだと思うのですが、当時は“見捨てられた”という絶望感がすごかったです。
学校も家も自分の居場所はどこにもない。唯一のひとりの時間だった夜の時間が、いつまでも続けばいいのにと思って過ごしていましたね」
──その状況から「逃げ出したい」と思うことはなかったのでしょうか……。
「ありませんでした。確かに、学校でされていたことは“いじめ”だったし、親からされていたことは“虐待”だったかもしれません。だけど、明確な言葉にしなければ“いじめ”は“いじり”だし、“虐待”は“しつけ”や“教育”にとどまる。そうやって鈍感になっていれば愛を感じられるんですよ。だから、いくら嫌な思いをしても不登校にはならなかったし、家出をしたこともないです」
──逆に「見返してやる」といった気持ちは?
「その度胸もなかったですね……。一度、自分よりガタイのいい子に本気で首を絞められて、意識を失いかけたことがあるんです。 そのときはさすがに“この人を殺さないと本当に死ぬかもしれない”と頭をよぎりました。でもそれ以上に、“もしかしたら殺されないかもしれない”と思い、何もできませんでした。そのときに僕は死を感じても仕返しすらできないと気づきました。
これはたぶん、性善説を信じている部分が根底にあったんだと思います。“自分が人を殺す行動を取らなければ、この人はきっと僕を殺さないだろう”というぬるい価値観が、人に仕返しする度胸を奪っていたのだと思います」