好きを発信することでつながる輪、動き出した人生
──そのつらい状況を救ってくれたゲームが、先ほどお話ししていた『Kanon』だった、と。
「そうですね。『Kanon』だけじゃなく、夜ひとりの時間にやるゲームにはずっと救われていました。つらいけど生きていればフィクションの世界で楽しむことができるし、こういう体験ができるならもっと生きていてもいいなと思えました。
さらに、ゲームにハマってから自分の行動も変化していったんですよ。中学2年生のときにゲームにハマってからそのよさを知らしめていきたいと思って、“このゲーム面白いから、やってみてよ!”と布教しはじめました」
──そんな状況下だったのに、すごい勇気です。
「当時は今ほどオタクを受け入れる環境ではなかったのですが、“こんなに生きることが楽しくなるコンテンツがバカにされるのはおかしい!”くらいの熱量になってて(笑)。その日を境に、比較的同じようなテンションの子たちに話しかけるようになりました。
最初は”キモイ!”と言われることもあったけど、“実は俺も好きだった” “やってみたら面白かった”と言ってくれる人が周りに増えてきたんですよ。好きなものを“好きだ”と発言することで、同じ好きを持っている人たちの輪が広がっていった。それにもすごく救われましたね」
──ゲームクリエイターを目指したのも同時期からですか?
「そうです。“僕が体験した感動と同じような感動を自分でも描いて、世の中の人たちに認めてもらうんだ”と思うようになったんです。
それで中学3年生のときにプレイした『月姫』をつくっているTYPE-MOONが同人サークル(※)だと知り、ゲーム仲間と夜の公園に集まって“今から俺たちはゲームサークルをつくるぞ!”と(笑)。お互いに何のスキルもないのに、“僕は企画とシナリオで、お前はプログラマー。君はイラストレーターだ!”と役割を決めたのがゲームクリエイターへの道の始まりでした」
※同じ趣味や志を持った人たちが集まって結成した団体のこと

(取材・文/阿部裕華、編集/FM中西)
◇ ◇ ◇
壮絶な体験のなかでゲームの魅力を知り、魅力を発信することで仲間を見つけた林さん。夜の公園で誓い合った日から、林さんのゲームクリエイターとしての道が始まる。
第2弾インタビューでは、過去の経験を経て林さんがたどりついたゲーム制作への思いと、現在でも貫く信条、自身の作品である『モナーク/Monark』にかけた胸の内を聞いた。