芸人からラウンジのママに転身。MCでこ八さんの「自分でできるやん」の精神

MCでこ八さん ひまわり畑での一枚!

──そのときは舞台にも出ていたんですか?

でこ八「それが、俳優の学校へ行ってもなかなか舞台には出られないんですよ。だから寺を借り切って独演会を開きました。先生には怒られましたけど、“なんかしでかすヤツがいる”と噂(うわさ)になって当時は落語家の三代目笑福亭仁鶴さんも見に来てくれていました

 でも本当は俳優になりたかったし、芸人としてやるならピンで漫談をやりたいという意識が強かったんです。それで自分のショーをやりだした結果、水商売の道に入ってラウンジのママになりました

──なるほど。自分がやりたいことを突きつめた結果の道だった。

でこ八「そうです。当時はショーができる場所なんて全然なかったんで、自分のショーをやりたいがために始めました。こんな風に自分で道を切り開くのが好きなんですよ。漫才師だったときは、舞台に出たいから大阪の『箕面温泉スパーガーデン』まで通って、“出してください”とお願いしました。“舞台の掃除するから、幕間(舞台の幕が下りた休憩時間)で出してくれ”って交渉して。それで向こうが折れて、ようやく舞台に出してもらいました

──それもまたすごい根性というか執念ですね......。

でこ八待つのがとにかく嫌いなんですよね。“なんでもぜんぶ自分でできるやん”って思うんですよ。今この歳になっても、この考えは変わってないですね

MC玄武の初ライブで「これならできる」と、『赤ちゃん婆ちゃん』を結成

MC玄武さんは、ラッパーのANARCHY(アナーキー)のライブを機に、ラップにのめりこんでいったという

──では、MC玄武さんがラップにのめりこんだきっかけは何だったんですか?

玄武生まれた場所が向島で、ラッパーのANARCHY(※1)さんと同じ場所だったんです。兄から地元のスターだよって名前だけ聞いていて、中3のときに、テレビ番組『BAZOOKA!!!高校生RAP選手権』(※2)で初めてANARCHYさんのライブを見たのがきっかけで、ラップを始めました

※1 ANARCHY:2000年代初頭からラップシーンをけん引してきた人気ラッパー

※2 BAZOOKA!!!高校生RAP選手権:全国の高校生でいちばん強いラッパーは誰なのかを決める番組。人気ラッパーを数多く生み出している、若手ラッパーの登竜門的大会

──では、おふたりが『赤ちゃん婆ちゃん』を組むきっかけは?

玄武地元のサイファー(※)に参加したんですけど、そこで先輩から“ライブに出たら?”って誘われたんですよねそれで曲を作って初めてのライブをする日に、でこ八が見に来てくれたんです。僕にとって、でこ八は初めてのお客さんであり、それがきっかけで相方になりました

※サイファー:広場などでラッパーが集まり、円になってフリースタイルラップをすること

──そこがきっかけだったんですね。でこ八さんはなぜライブを見に行ったんですか?

でこ八私は昔ラウンジにいたから、箱の雰囲気は全然怖くなかったです。でも、やっぱりヤンチャな人もいるし、玄武がそこでなんかあったら嫌だから、見守る感じでついていったんです」

──確かにラッパーって漠然と怖いイメージがあるかも……。実際はどうでしたか?

でこ八みんな、すばらしかった。行儀のいい子たちばっかりで、もともと持っていた偏見がなくなりました。あと、音楽を聴いてると“簡単そうやし、これやったらできるやん”って思ったんです(笑)。それで、私もやりたいって玄武に言いました

玄武ライブの翌日には僕が誘い返して、結成に至ります。初めてサイファーに参加してから2か月の出来事です。完全に勢いで進みましたね。でも、今思えばそれがよかったんじゃないかなと思います」

──なかなか異色なコンビだと思いますが、周囲の反応はどうでしたか?

でこ八家族はみんな応援してくれていますね。反対意見も特になく。なんなら、“もっとこうやったらええんちゃうか?”って、アドバイスをしてくれるくらいです」

玄武おばあちゃんとやってるというと、だいたい驚かれますね。まぁ、でも特に悪く言われたりとかはしなかったです」