秀樹さんの「楽屋」は今も

 2022年には久しぶりのコンサートも開催され、もちろん宅見さんもギターで参加した。4月に横浜・神奈川県民ホールと大阪・オリックス劇場で開かれた『西城秀樹コンサート THE50』と、9月のZepp DiverCity TOKYOでのアンコール公演だ。

 ありし日の秀樹さんの歌声が響きわたり、スクリーンには生前のエネルギッシュな映像。生演奏でバックアップするバンドは、長年にわたって秀樹さんを盛り立ててきたメンバーたち。2017年のコンサート『THE45+1』と同じメンバーが集まった。

Zepp DiverCity TOKYOでのコンサート。マイクスタンドはスポットライトに照らされ、主役の不在を感じさせない(2022年9月) 撮影/北村史成

「秀樹さんが2018年にお亡くなりになって、2019年はまだ一周忌。そのあとにコロナが来て……。だから2022年、秀樹さんのデビュー50周年で集まれて本当にうれしかったです。
 僕らバンドだけじゃなく、音響さんや照明さんや全スタッフが集まりました」

──お客さんもとってもうれしそうでした。声だけの秀樹さんと一緒にステージに立っているとき、どういう気持ちになるものですか?

「われわれですか?  いつもと一緒ですよね。ステージ上にマイクスタンドはあるし、バンドメンバーの立ち位置は一緒だし、聴こえてくる声も同じなんで。
 しかも、今までもずっと秀樹さんの背中を見ながら弾いていなかったので……」

──ああ、そうなんですね!

「どちらかというと譜面と正面のお客さんを見ています。みんなが秀樹さんを見ていてもおかしいですし」

往時とまったく変わらぬ熱量でたっぷり22曲を熱唱・熱演。宅見さんのギタープレイもさえわたる(2022年9月) 撮影/北村史成

──では、今もご一緒にやっている感覚なんですね。

「はい、もう何も変わらず。秀樹さんの楽屋もありますし。

 僕はX JAPANが大好きなんですが、コンサートで楽屋に行かせてもらうとHIDEさんの楽屋がぜったいにあるんですよ。もうHIDEさん、いらっしゃらないじゃないですか。でも、ちゃんとバックステージには楽屋があります。

 秀樹さんも(マネージャーの)片方さんが “とにかくおんなじでやりたい”と。だから神奈川でも大阪でも秀樹さんの楽屋がありました。部屋の中は空っぽですけどね。誰もいないので、僕が座らせてもらったりしていましたけれども(笑)」

──楽屋のドアには何か貼ってあるんですか?

「《西城秀樹様》って書いてあります。何かお供え物みたいですけれども、中にお弁当も置いてありますし。そうじゃないと意味がない」

秀樹さんにとことん鍛えてもらった!

──そもそも宅見さんがバンドに入ったのは何年からですか。

「2004年ごろです。当時やっていたバンドをやめてどうするの?  というときに秀樹さんが “バンド入れよ”と。もうひとつは作曲家として入る音楽事務所を紹介してくださって。それがあったから今も仕事を続けていけています」

──最初からギターだったんですか。

「はい。僕はもともとドラムでプロデビューしているんですけど、秀樹さんくらいのバンドになると、若いロックドラマーではとても務まらない。ベースも弾きますけどやっぱり違うし、ピアノもそんなに上手くはなかった。ギターならちょっと演奏しながら、勉強できるだろうと考えてくれたんだと思います。

 ただ、このときギターがもう2人いらっしゃって、さらに僕ですよ。普通、ギター3人もいらないじゃないですか(苦笑)」

──当時、まだ芳野藤丸さん(1970年代から「藤丸バンド」で秀樹さんをサポート)はいらしたんですか?

「いらっしゃいました。もう1人ヒデさん(黒田秀雄)という方がいて、僕は3人目でアレンジャーを兼ねて雇ってもらいました。3人もいらんなって、自分でも思いましたよ。ミュージシャンの人から見たら、家族だから来たんだろうって。僕が逆の立場でもそう思いますし、アレンジ上必要ありませんし。内心申しわけない気持ちでした。

 だから邪魔にならないようにシェイカー(リズム楽器)を振ったり、アコギを弾いたりしました。そのあとヒデさんがやめて、藤丸さんとツインギターになったんですね。しばらくしたら藤丸さんもやめられて。気がつけば10年以上、私1人でやらしてもらっています」

秀樹さん53歳、宅見さん29歳。2008年のコンサート「覚醒 KAKUSEI」のアンコールで、ボン・ジョヴィのカバー『WE GOT IT GOING ON』を披露 写真提供/アースコーポレーション

「(全部まかせてもらって)いいんですか?  という気持ちと。でも、負担もより増えてきますから、秀樹さんに “1人だとキツいんです”と言ったんですね。コーラスして、バッキングからギターソロにいって、ギターソロ終わりで足(エフェクター)踏んで、またコーラス……みたいなことが多いんで、両手と口と足、ぜんぶ使っていました。

 でも、秀樹さんは “大丈夫だろ” みたいな感じで」

──それは大変でしょう。

だから鍛えてもらいました。ずっとギター2人でやってきたことを1人でやるというふうに、秀樹さんが勉強させてくださった。こうやってお話しする機会をいただいて、話せば話すほど、自分はそこで救われたんだなって気づかされますね。

 本当に優しい方で、片方さんもインタビューでおっしゃっていましたが、レストランとかでも絶対に “外で待ってろ”なんて言わない。僕もいつもご飯に呼んでもらいました」

(マネージャー・片方秀幸さんインタビュー記事はこちら→西城秀樹さんと35年、間近に接した愛すべき素顔「飲み屋で隣り合った人と──」)