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「1日1フム」生活。- フムフムニュース -

人生100年時代。今や日本人のおよそ半分は50歳以上です。「NEOFIFTY」では、これから50代を迎える人にとって、その先にある老後が「終活の始まり」ではなく「新しい人生がもう一度始まる」と思えるように、素敵な生き方をしている人たちの言葉を紹介していきます。

音楽

フラワーカンパニーズのリーダー・グレートマエカワさんが振り返る、“メジャー契約終了”という危機からの奮起

SNSでの感想
グレートマエカワさん 撮影/山田智絵
目次
  • マエカワさんを中心にフラカンメンバーが出会う
  • 大学時代だけの音楽活動のつもりが、卒業後にプロを目指す
  • レコード会社の契約終了。4人だけの体制に戻って再スタート
  • 言い出しっぺ体質で、バンドメンバーのパイプ役
  • 活動継続のため、“バンド貯金”を始める

 ベースと一緒に佇む彼の名はグレートマエカワ。ミュージシャンの岡崎体育さんとラグビー日本代表の稲垣啓太選手が共演するCMで使用された曲『深夜高速』を演奏しているバンド「フラワーカンパニーズ」(以下、フラカン)のベースと言えば、ピンとくる人が多いのではないでしょうか。

 今年で結成33年になるフラカンは、9月23日に5年ぶり8回目の日比谷野外音楽堂公演も成功させました。結成以来メンバーチェンジなしという偉業を成し遂げている裏には、数々の困難があったといいます。今年53歳を迎えたマエカワさんに、その平坦とは言い難いバンド活動の歴史を語ってもらいました。

マエカワさんを中心にフラカンメンバーが出会う

──音楽への興味はいつ頃からあったのですか?

「僕が小学生の頃って、歌謡曲の全盛期でベストテン番組がたくさんあったんです。中学になったら洋楽も聴くようになった。でも音楽の授業で使うような楽器はうまくなかったから、成績は2とか1(笑)。だから自分が楽器をやるとは思っていなかったんだけれど……。僕には7つ上の兄貴がいるんですけど、大学生の時にバンドをやっていて、家にベースがあったんです。僕が中2の時に仲がいい友達の中に、ギターが弾けるやつと歌がうまいやつがいたので、“じゃあ、僕の家にベースあるから、バンドをやってみるか”って感じでバンドを始めたんですよ

──フラカンのメンバーとバンドを始めたのですか?

「その時は違う友達です。メンバーの鈴木(鈴木圭介・ボーカル。フラカンでは作詞も手がける)と小西(ミスター小西・ドラム)は中3の時に同じクラスになって。当時はクラスにいる男子20人のうち15人がバンドを組んでいるっていうくらいブームで、鈴木と小西は同じバンドでやっていたんですけれど、僕とは違うバンドだったんです

──高校に入ってからも音楽は続けていたんですか?

「バンドは続けていましたね。高校に入学したら、竹安(竹安堅一・ギター)と出会って、好きな音楽の話をしたりするうちに仲よくなった。竹安には“バンドをやっているから見に来て”って言っていたんだけど、竹安のお母さんがギターを弾いていたみたいで、そのうち彼もやってみようかなって感じでギターを始めたんです」

──フラカンのメンバーが、マエカワさんを中心として出会うのですね。

「みんな高3になると、受験があるから一旦、バンドは解散しました。大学生になったら竹安を誘って、もともと組んでいたメンバーとバンドをやろうって思っていたら、俺以外みんな受験に落ちてしまったんです(笑)。1年待ったらバンドができると思っていたら、今度は彼らがほかの地域の大学に行ってしまった。ちょうどその頃、鈴木と小西のバンドが解散しちゃって。それまで仲はよかったけれど、彼らと一緒にバンドをやろうっていう発想はなかったんですよ」

──音楽性が違ったのですか?

俺らはハードロックとかブルース寄りの渋いって言われるようなことをやりたくて、鈴木の好みはパンクバンドみたいな感じで、キャラが違ったんですよね。でもローリング・ストーンズとか、共通で好きな音楽もあったから、“俺の友達にギターを弾けるやつがいるから、一緒に1回スタジオに入らない?”って言って鈴木と小西の2人を誘ったんです

写真左から、ミスター小西さん、グレートマエカワさん、鈴木圭介さん、竹安堅一さん(提供写真)

──フラワーカンパニーズ誕生の瞬間ですね。

1989年の4月23日に初めて、スタジオに入ったのかな。その1週間前に近所のファミレスに集まって、鈴木と小西に“これが竹安です”って紹介して顔合わせをしていて。スタジオではひとり1曲、やりたい曲を演奏しました。そのまま、面白いから来週ももう一回やろうっていう感じになって。そこからオリジナル曲も増えて、ライブをやろうかっていう話になった。“ライブをやるならバンド名を決めなきゃいけない”という流れから、フラワーカンパニーズという名前を付けたんです

──偶然からのスタートなのですね。

「結成した翌年の'90年1月から、地元のライブハウスにレギュラーでライブをするようになりました。当時はまだTシャツやタオルとかの物販を売っているバンドとかはいなくて、カセットテープを売っている人がいたくらい。それでフラカンも結成の翌年にカセットテープを作ったんです。あ、でもその年にはコンテストにも出場しているので、コンテスト用に作ったのか、物販用に作ったのかはさすがに忘れちゃいましたが……」

──コンテストにも出場されているんですね。

'90年に『TOYOTA YOUNG MUSIC FESTIVAL』っていうのにエントリーして優勝しました。高校の時は、俺のバンドと鈴木のバンドが10代向けのコンテストにそれぞれ出たんですよ。鈴木はその当時、『ベストアイドル賞』をもらっていました(笑)

──フロントマンとしての素質が当時からあったのですね。

鈴木のバンドは、ライブをすると女子高生が100人ぐらい来たんですよ。僕らのバンドは、竹安くらいしかお客さんがいなかったのに(笑)

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