──マエカワさんがバンドのリーダーだったから、運営も任されたのでしょうか。

「リーダーだからというよりも、マネージャーやレコード会社の担当と運営に関して、もともと僕が話すことがやっぱり多かったんです。だから僕がやるようになったのも自然な流れですね。物販も最初は自分たちでやるのは正直カッコ悪いなとか思ってたんだけど、やってみたら“今日はこれがよかったです”っていうファンのダイレクトな声が聞けて、これはこれでありだなって。

 2000年ぐらいの頃はメンバー4人で飯を食いに行くことは絶対なかったし、仲が悪いわけじゃないけれど、言いたいことはマネージャーに言ってもらうみたいな感じの空気もあった。でも自分たちでやるようになって、4人で話すし、ある意味、原点に戻ったところもあったと思う。だから、バンドでいけるとこまでやってみようっていう気持ちになれました

グレートマエカワさん 撮影/山田智絵

言い出しっぺ体質で、バンドメンバーのパイプ役

──2003年の『RISING SUN ROCK FESTIVAL』('99年から北海道石狩市で開催されている夏のロックフェス)に出演する際は、フェリーで行かれたんですよね。

「あれは僕が(主催者から)送られた資料をちゃんと読んでなかったんです。フェスに出られるだけでうれしくて(笑)。ライジングの前々日に新潟に行って、そこからフェリーに乗るぞって計算して、自分たちのライブのブッキングまでしたんです。あとで飛行機のチケットが支給されるって知ったんですが。それを見てない、バカすぎるだけの話なんですよ(笑)

──いや、自力で行こうとされるのは人柄がよすぎると思いますが……。

でも“フラカンは本当にハイエースに乗ってフェリーで来たぞ!”って喜ばれたのでよかったですけど。ブッキングに関しては、ツアーがきれいに組めた時の達成感がすごくあります(笑)」

──バンド内で作業の分担はされないのですか?

「僕や鈴木や竹安はパソコンが苦手だから、小西も得意じゃないけれど、他の3人よりはということで、ホテルを取るのは10年くらい小西が担当してました」

──竹安さんはパソコンなど得意そうに見えますが……。

なんか頭よさそうに見える顔だよね(笑)。でもあいつのよさはそこじゃないから。鈴木には任せられないし、小西にも全部を任せる自信がない。だから自分でやったほうがいいっていう判断ですね

──マエカワさんはみなさんのパイプ役というか、バンドメンバーがみんなマエカワさんところに集まっている感じですよね。

もともとみんな、僕の中学と高校の同級生なので。最初に“バンドやろう”って言ったのも僕だから。言い出しっぺ体質なんですよ。小さい頃からみんなに声をかけて遊ぼうって呼びに行く役だったから