敏腕ボディーガードの小山内秀友さん(国際警護会社CCTT代表/国際ボディーガード協会 副長官兼アジア地域統括責任者)は安倍元首相銃撃事件について「そもそも警護の基礎がなっていなかった」と指摘。世界中で壮絶な警護訓練・経験を積んできたプロが説く、私たちが危機を未然に防ぐための心構えとは?(全2回の後編)
(前編の記事:「安倍元首相をなぜあの場で街頭演説させたのか?」敏腕ボディーガードが今も悔やむ要人警護の問題点とは?)
敏腕ボディーガード「Ted Osanai(テッド・オサナイ)」が誕生するまで
──小山内さんがボディーガードの道を志したきっかけは?
15歳の高校1年生の時に「英語をマスターしたい」と思い立ち、単身でアメリカに渡りました。アメリカのアリゾナというところに滞在していました。
向こうに渡って1週間後ぐらい、日曜日の午後でとても暖かい日だったんですけど、ベンチに座って友人を待っていたんです。目の前を老夫婦が散歩していました。のどかだなと思いながら何気なく見ていたら、おじいさんのほうが突然、僕の目の前で倒れて、僕が座っていたベンチの角に頭をぶつけてしまい、流血してしまったのです。
近くにいたおばあさんもパニックになっていて、早く助けてあげなきゃと思い、一番近くにいたので、バッとベンチから立ち上がったんですけど、何をしていいのかわかりませんでした。
そうこうしているうちに人が集まってきて、救急車も来てすぐに搬送されていきました。その時、目の前で困っている人、助けを求めている人がいた時に、その困っている人を助けられないことほどつらいことはないと強く感じたんです。
困っている人を助けられるか、助けられないかって、自分がその時どんな知識を持っているかとか、今までどんな経験をしてきたかがすごく影響するなと思いました。僕の目の前で老人が倒れた時に少しでも英語が話せたら救急車をすぐ呼ぶこともできただろうし、止血法を知っていたら迅速に対処できたかもしれない。
知識と技術と経験が足りないと、目の前の困っている人を助けることができないと強く感じて、そこから危機管理とか、セキュリティとか、救護法とかを本腰を入れて勉強するようになったんです。そのうち漠然と警護の仕事に関心が向きまして、とにかく実践してみようと、仕事をしながらお金をためて世界各地の訓練所の門をたたきました。
某訓練所で警護訓練を受けた時、すっと自分の中に入ってきたんです。これを生業(なりわい)とするのも面白いかもしれないと思って、そこから本格的に真剣にボディーガードになろうと思い立ちました。