“成り下がり時代”にも意味はあった。畑違いのバラエティ番組でまさかの大奮闘
──所属していたバンドグループ『RED WARRIORS』(レッド・ウォーリアーズ)、一世を風靡しましたね。'89年の解散後はソロ活動をされていますが、ある意味、挫折の時期だったのでしょうか。
「バンド活動は、気がついたら西武球場でもライブをやっていたりして、売れていい気になっていたんですよ。そうしたら、メンバーが分裂して、3年で解散しちゃった。そこからソロになったはいいけど、いつの間にか、いろいろな人が離れていった。やっぱり、つけあがると、いろいろな人が遠くに行っちゃう。ロックは勢いだし、破壊者だから、そういうつもりでいたんだけれど、気づいたら天狗になってしまっていたんです。今考えると、小さなお山の大将だったんだけど。
そのころを振り返って、“成り下がり時代”と呼んでいるんですが、当時は鈍感だったから、なかなか自分のふがいなさに気がつけなかった。“なんで俺みたいなすげえやつが、こんなとこにいるんだろう”って思っていて。
そして解散して10年くらい、2000人規模のコンサートホールでライブをやっていたんだけど、だんだん人が離れていく。しょうがない、ひとりでやるしかない、と自分で会場をブッキングしたりしているうちに面倒くさくなって、“もうライブハウスでいいや”って。そのうち、レコード会社も事務所もなくなっちゃった。
これまでとんとん拍子で来ていたのに、ついに運命にムチが打たれたと思いました。でも、今考えると、あの時期の経験は人生のなかで意味のあることだったし、あのままずっと順調に進んでいたら、天国か地獄かわからないけど、そのまま行くところまで行っちゃってたんじゃないかな」
──そこからまた新たな展開があり、バラエティで一躍、人気者になりましたね。
「どんどん世の中が移り変わっていって、自分が過去の人になりつつあるということを自覚したのが、野外ライブイベント『a-nation』に誘われて出演したとき。安室奈美恵さんが大御所、浜崎あゆみさんが大人気のころで、花火が上がり、華やかなステージが続いて、むちゃくちゃバブリーで、今まで生きてきた世界と全然違う。そこで、“ああ、世の中変わっちゃったんだな”と悟ったんです。“自分はロックで止まっていた。もう誰も俺のほうを見向きもしなくなった。そうか、しょうがないな”みたいな。
でも、自分がやれることしかできないから、それからも地道に活動していたんですよ。そうしたら、“役者やりませんか”ってスカウトされたんです。ちょうど40歳を過ぎて、元アイドルの妻と離婚したばかりで、ひとり気ままに過ごしていたんだけど、なぜか“もしかしたら、俺もいい役者になれるかもしれない”と思って依頼を受けました。
ほどなくしてテレビ出演の仕事が入ったんだけど、それがトークで魅せる番組『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)。“ともかく出てくれればいいから”って言われて、番組が用意したイスにわけもわからず座っていたんだけど、自分は世間知らずでテレビもほぼ見ていなかったから、世の中がどうなっているのか、とんちんかん。さすがに司会の明石家さんまさんのことは知っていたものの、隣に座っている芸人さんたちが誰もわからず適当にしゃべっていたら、なぜか“面白いね、あんた”と言われて。そこからいろいろ仕事が入ってきたんですけど、全部バラエティ関連だったんですよ。
“これは話が違うんじゃないか、一応、アーティストとしてデビューしたのに、なんでこんな場違いな世界で生きていかなくちゃならないんだ”と落ち込みもしたんですが、すでに芸人ブームが来ていて、もう歌番組なんかほとんどないのだと、ようやく理解するんですね。それと、芸人さんたちが、人気者の座をかけて熾烈(しれつ)な戦いをしていることも見えてきました。“これって、ハングリーなロックだな、面白いな”って思って、気づけばバラエティを10年くらいやっていました。まったく自分のテリトリーではなく、人の土俵なんだけどね。そこに足を踏み入れてみると、いかに自分が井の中の蛙だったかがわかり、“ああ、ここにきても、俺なんか何もできないなぁ”って。それが逆に刺激になって、奮闘できたんです」