吹き替えが始まったのは、当時の白黒テレビでは字幕が読みにくかったから
──そもそも、テレビで吹き替えが定着する前は、字幕だったんですか?
「そうです。ただ、1度に画面に出せるのが最大で“14文字×2行”の28文字までなので、表現には限りがある。しかも、当時はブラウン管のテレビで、今のように鮮明には映らないから、文字が読みにくかった。特に濁音などは見えなくなっちゃう。たとえば『ターザンの冒険』が『ターサンの冒険』になったり(笑)」
──視聴者が勘違いしてしまいますね。
「そういうこともあって、徐々に吹き替えに切り替わるようになり、声優が必要になっていったというわけです。それと、テレビで外国映画を放送するようになったのは、邦画を放送しづらかったという事情もありました」
──それはどういうことでしょう?
「当時の映画業界には“五社協定”という取り決めがありました。大手映画会社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)に所属する俳優や監督を他社が引き抜いたり貸し借りすることは許されない、という業界内の取り決めです。さらに、テレビの台頭によって、“テレビで映画を放送したら、映画館にお客さんが来なくなるじゃないか”という敵対意識が生じるようになり、五社協定がテレビ業界にも適用されるようになったんですよ。そのため、テレビ局が国内映画のフィルムを借りにいっても、協力してもらえなくなりました。
そこで、太平洋テレビ、東北新社のようなディストリビューターが登場し、アメリカやヨーロッパなど海外の映画フィルムを買いつけるようになったんです。テレビ局はそのフィルムを借りて洋画を放送するようになり、それに合わせて洋画や海外ドラマの吹き替え放送の数もどんどん増えた。以降、声優は引っ張りだこになり、忙しくなっていくんですね」