ミスしたら最初からやり直し! 28分ノンストップで吹き替えをしていた時代

羽佐間道夫さん 撮影/近藤陽介

──吹き替えが始まった頃はトラブルやご苦労も多かったんですか?

「ありましたねえ。当時は映像のフィルムのほかに、音を入れるオープンリールのテープが別にありました。録音テープを再生すると、最初の3分くらいしか映像にシンクロしないんです。途中から映像と音がズレていく。ゲーリー・クーパー(※5)の『真昼の決闘』なんて、放送ではピストルの打ち合いのときにはなんの音も出ないで、敵を倒した後、ヒロインのグレース・ケリー(※6)と向かい合う……、というときに“ダーン!”と銃声が鳴る、なんてこともありましたよ」

(※5)ゲーリー・クーパー:1930年代から1950年代にかけ、西部劇を中心に活躍したアメリカの映画俳優。『真昼の決闘』で2度めのアカデミー主演男優賞を獲得している。1961年没。
(※6)グレース・ケリー:アメリカで「クール・ビューティー」と称され、女優として活躍していたが、1956年にモナコ大公レーニエ3世と結婚して引退。王妃となった。人気ブランドの“ケリーバッグ”は彼女の名前にちなんで命名された。1982年没。

「徐々に改善されましたけど、音がズレてくるとスタッフが片方のテープを手でおさえてスピード調整しながら流していたほどです(笑)。せっかく、吹き替えのときに時間を合わせて録っているのにね。

 もう1つ難儀だったのが、当時はオリジナルのフィルムを流して、ぼくたちはその映像を見ながら声をあてていたのですが、あの頃の機材ではフィルムを途中で止められませんでした。だから、録音テープは1本回り切るまで28分あるんですが、ぶっ通しでアフレコをしなければならなかったんです

──もし、どこかで失敗したら?

最初から録り直しです。部分的につなげることなんてできませんから。テープが回り切るギリギリのところで出番がある人なんて責任重大ですよ。ある若手声優が“そこに座れ”と一言だけしゃべる場面があったんですが、それが28分ギリギリのところだった。かなり緊張していたんだと思います、“そこに座れ”と言うべきところを、彼は“sit down!”と言ってしまった。吹き替えをするときは、イヤホンをして、原版のセリフを聞きながらやるんですが、彼は聞こえてきたままのセリフを叫んじゃった(笑)。これでNG。最初から録り直しです。かわいそうなことに、その人はそれ以降、呼ばれなくなってしまいました。

 初期の頃はこういったNGがいくらでもありました。年配のあるご婦人は、老眼で台本の細かい字が見えなかったらしくて、徹夜で新聞紙に大きな字で自分のセリフを書いてきていました。本番になると、その新聞紙をめくるたびに“バリバリバリ”と派手な音がするので録り直しとか(笑)

 大雨が降った翌日、スタジオが浸水していたなんてこともありました。でも、その日のうちに音を入れないと放送に間に合わないということで、プロデューサーが全員に長靴を買ってきて、まだ水も引かないスタジオでアフレコを強行したりね。でも、楽しかったですよ。こうした手作りの時代を経て、吹き替えの技術が育っていったんです」

『真昼の決闘』DVD:1572円(税込)発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント URL: http://www.nbcuni.co.jp/ ※2022年11月の情報です
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 洋画の吹き替えが根付くようになったのは、テレビがまだ白黒で、字幕が鮮明に見えなかったからだったんですね。次回は、『ロッキー』シリーズのシルベスター・スタローンなど、羽佐間さんが吹き替えを担当した俳優や作品についての話を伺います。

◎第2回:羽佐間道夫さん#2「シルベスター・スタローンの獣のような声を出すために、わざと喉をからした」(11月11日18時公開予定)

(取材・文/キビタキビオ)

《PROFILE》
羽佐間道夫(はざま・みちお) 1933年、東京都生まれ。声優・ナレーター事務所ムーブマン代表。舞台俳優を志して舞台芸術学院に入学。卒業後、新協劇団(現・東京芸術座)に入団した。その後、おもに洋画の吹き替えの仕事から声優業に携わるようになり、半世紀以上に渡り第一線で活躍。『ロッキー』シリーズのシルベスター・スタローンほか、数々の当たり役を演じている。アニメーションやナレーターも多数こなす。2001年に第18回ATP賞テレビグランプリ個人賞(ナレーター部門)、2008年に第2回声優アワード功労賞、2021年には東京アニメアワードフェスティバル2021功労賞を受賞。自らプロデュースし、人気声優も出演するイベント「声優口演」の開催を15年にわたり続けている。