道が定まったギョウテンな出会い!? さかな芸人の道が本格スタート

──お魚替え歌以外にも“1か月間釣った魚だけで生きる”や“築地市場でネタを披露して投げ銭としてもらった魚だけで生きる”などさまざまなチャレンジ企画をされてきましたが、どのような経緯で始めることに?

大学時代から所属していたお笑い事務所を辞めてフリーになったのですが、次の事務所も決まらずしばらく苦しい時期が続いていました。芸人を辞めようかと思ったんですけど、どうせ辞めるなら最後に他の芸人がしていないことをしようと思って始めたのが“1か月路上ライブして、バイトせずに投げ銭だけで生活する”の企画です。路上ライブの投げ銭報告をブログに更新していたらアクセス数がちょっと伸びたんですね。じゃあ、1か月しばりの企画を他にもしてみようと思い、いろいろやり始めました。“1か月間ひたすら北に向かって歩いてどこまで行けるか”のときは東京から青森の大間まで歩きました(笑)。

 で、そのころはすでに替え歌は定番ネタだったんですが、昔から無人島生活に憧れていて、いつかオファーが来ないかなと思っていたんですけど一向に来ず。来ないなら自分でやろうと思って、千葉県の館山に行きました

──千葉県の館山はさかなクンの地元ですよね?

「そうです。ある日さかなクンが館山でイベントをしていると聞き、行くことにしたんです。イベント終了後、ダメもとで楽屋に行ったら、そこにいた漁師さんが“もしかして、館山回って釣りしている芸人って君?”と声をかけてくれました。その方はさかなクンの親友で、そのままさかなクンに会わせてくれたんです

 そこでさかなクンに“何かの番組で館山を回っているんですか?”と聞かれて“自主的にやっています”と答えたら“じ、自主的に〜〜〜!?”とあのトーンで驚かれました(笑)

──光景が目に浮かびます(笑)。

「その場でネタを披露したら面白いと言っていただけて、嬉しかったですね。それを機に芸名にしれっと“さかな”を付けました(笑)

──なるほど(笑)。そのときから今の格好になったんですか?

「ちょうどそのころ、Twitterで変わった恰好の人がバズっている時期で、それに感化されて衣装もこだわろうと決めて今の姿になりました。これになってから釣り関係の仕事が増えて、チャレンジ企画も魚しばりになっていきましたね」

──チャレンジ企画の集大成が“300種類の魚を釣るまで、自分で釣って調理した魚以外、食べないチャレンジ”なのですね。

「そうです。その企画では、期間は最長7か月、北は北海道・知床から、南は沖縄・石垣島まで巡りました。最後に釣ったのは頭に付けているウスメバル。そもそもメバルは目が大きくて目立つからという理由で選んだのですが、だんだん愛着が湧いてきて、企画の締めは絶対にメバルにしようと決意したんです。釣り上げたメバルを頭に掲げたときはいろんな思いが込み上げてきて泣けました。本当に思い出深い企画です

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 魚への思いの深さと同時に、ハットリさんのひらめきやピンチをチャンスに変える力にはただただ脱帽。何をしても自分のものにして、必ずやりとげるサバイバル力ならどこで何をしてもやっていけると心の底から思いました。インタビュー第2弾ではハットリさんの博識な一面をご紹介。今問題となっている外来種についてや、発信者として心がけていることなどを語っていただきます。

(取材・文/阿部恭子、編集/FM中西)

【PROFILE】
さかな芸人ハットリ 1989年、神奈川県生まれ。福岡大学付属大濠高等学校、早稲田大学教育学部卒業。大学ではスキューバダイビングとお笑いサークル「早稲田寄席演芸研究会」に所属。2010年より芸人として活動スタート。2014年「日本さかな検定(通称ととけん)」1級に合格。その後再度受験し、2017年に同検定で全国6位に。同年10月に個人事務所「ハットリ水産」を設立。2021年『日本一魚好きな芸人の魚図鑑 さかな芸人ハットリが日本一周して出会った魚たち』出版。歌詞をすべて魚の名前にして歌う「お魚替え歌」や魚しばりのチャレンジ企画がSNSで注目を集め、『アメトーーク!』やイベントなど多数出演。