ブレイクした状況についていけなかった

──2022年7月に50歳を迎えて、考え方などで何か変化を感じることはありますか?

「正直、そんなに変わらないですよね。ただ、こういう仕事なので50のときにライブをしたいなという思いはあったし、そういう意味では意識していました。この歳になったらね、もうめでたいなんて思えるようなことも特になく、1歳や2歳、歳をとったってほぼ誤差みたいなものだろうって。でも50ってやっぱり節目というか、半世紀生きてきたのかという感慨はありましたよね

──俳優デビューしてからの27年は長かったですか?

「あっという間だった気もします。でも、テクノロジーは進化していくわけじゃないですか。テレビの画面の解像度が上がって、映像がすごくきれいになったので、たまに昔のドラマで4対3の映像を見ると、愕然としますよね。“俺、こんな時代から仕事していたのか”と(笑)。だから自分はあっという間だと思っていても、それだけ長い時間が流れているということですよね」

──藤木さんが20代~30代前半のころにたびたび取材をさせていただきましたが、ここ数年の藤木さんは当時よりも楽しんで仕事をしているように感じます。これまでの仕事や人生経験を振り返って、分岐点になったと思うことはあったのでしょうか?

「20代のときに世間に知ってもらった……簡単な言葉でいえばブレイクした作品(『ナースのお仕事』シリーズ、『ラブ・レボリューション』、『アンティーク~西洋骨董洋菓子店~』、『高校教師』など多数)はやっぱり自分にとっては大きいですし、その貯金で今までやってこられた部分もあるだろうなと思っています。でも、当時は、あまりにも物事を知らなかったから、その状況の変化についていけていなかったところもありました。どこかで窮屈だとも思っていたし、自分なりにこうしたいっていう思いが芽生えてきたということもありましたし。

 1年に1本、大きな作品で大きな役をやろうという方針になったときに、自分は演技をちゃんと学んできた人間でもないし、その中で表現することにプレッシャーやコンプレックスもありました。そこで演じることもそれ以外のことも、楽しむことはなかなか難しかったですよね。だから、もっともっといろいろな作品に出て、勉強したいなと思うようになりました。それで、デビューから道筋をつくってくれていたスタッフと離れることにしたんです。それは自分の中で大きな変化でしたね

──具体的にはどんなアクションを起こしたのですか?

「2005年の7月クールから4クール連続で、ドラマにも積極的に出ました。そこでいろいろな人に出会って話を聞く機会がありましたし。2005年4月に『おしゃれイズム』も始まって、MCとしてゲストを迎える立場になって自分の視野が広がったというか気づくことも多くありました。いろいろな可能性はあったと思いますが、これが自分らしさなのかなと。今のフラットな感じでいられるのは、そうやって自分で決めて動いたことがあったからかもしれません。ただ、表に出る側の人間がフラットだけでいいのか……と思ったりもします」

──今の藤木さんは、いい意味で力が入っていない感じが素敵だなと思いますし、いい人生を生きているんだろうなと推察しますが。

「いやいや、すごい才能を見ると自分に足りない部分を思い知らされるわけで。かといって、もうすべてを投げ出して辞めますというわけにも、家族がいるからできない(笑)。結局、表現って、演技にしても音楽にしても自分の中からしか出てこないじゃないですか。 

 そういった意味ではありがたいことに子どもを授かって、子どもたちが成長する中で体験させてもらうことや、『おしゃれイズム』でいろいろなゲストの方にお会いして感じることもあります。自分自身の経験は間違いなく演技にも返ってくることだと思っているので。何も知らなかった20代の自分とは違いますよね」

藤木直人 撮影/廣瀬靖士