宝塚歌劇団OGの輪をつないで、リレー形式で人気スターの現在を紹介する「宝塚歌劇団 華麗なるOGリレーサロン」。今回は、元雪組トップスター・早霧せいなさんからのご指名で実現した、元月組トップスター・珠城りょうさんのインタビュー第2弾です。9年目という早さでトップ就任の話を受けた珠城さん。世間からは「納得いかない」という声もあがりましたが、仲間の支えもあり、人一倍努力を続けながら乗り越えてきました。そんな珠城さんが退団を決めたきっかけや、1月から主演する舞台『マヌエラ』への意気込みを、たっぷりお聞きします!
(早霧せいなさんとの思い出やトップ就任までの道のりはインタビュー第1弾で伺いました。記事→珠城りょうさん、忘れられない早霧せいなさんからの“気合い注入”と宝塚月組で早期トップ就任時の「大きな葛藤」)
2008年、宝塚歌劇団に入団。月組に配属され、'10年、入団3年目で『スカーレット・ピンパーネル』にて新人公演初主演。'16年に入団9年目で月組トップスターに就任。近年では極めて異例のスピード出世となった。 '21年8月に宝塚歌劇団を退団。退団後は、コンサートやドラマ、舞台『8人の女たち』に出演。また、'22年10月19日にオリジナルアルバム「Freely」、カバーアルバム「Shine」で、アルバムデビューを果たし、コンサートツアー「RYO TAMAKI LIVE TOUR 2022~Freely~」を開催した。 '23年1月からは舞台『マヌエラ』で主演を飾る。
退団発表後コロナ禍で公演がストップ。望海風斗さんと励まし合って過ごしていた
退団を意識し始めたのは比較的早い時期でしたが、やはり、組が安定しないと次に託していけないですし、中途半端な状態にはできない。自分もファンの方々も納得してから次に進むべきだ、もう少し頑張ろう、と決めてやってきました。
早い段階でトップに就任したことで受けたネガティブな反応に深く悩み、正直、毎日舞台に立つことが恐怖でつらかった時期もありました。それを支えてくれたのがファンのみんなです。一緒にその時期を乗り越えてきているから、今もファンとの結束力が強い。退団後は、「Sereno」というファンクラブを新たに立ち上げましたが、昔から応援してくださっている方々と新規のファンの方が分け隔てなく応援してくださることがとてもありがたく、心から感謝しています。
退団発表はコロナ禍の前でしたが、コロナ禍で公演がすべて中止になり、中でも月組がいちばん長い期間、公演を再開できませんでした。『WELCOME TO TAKARAZUKAー雪と月と花とー』『ピガール狂騒曲』の舞台がほぼ出来上がっている段階でストップ、幕が開いたのは約4か月後でした。退団公演も延期になってしまい、“私はこのまま退団できないのではないか”と不安でたまりませんでした。このまま何年も公演が止まったままだったらどうなるのか、また舞台に立てる日が来るのだろうか、と気持ちは暗くなるばかり。ただ、それは自分だけではなくて、同じく退団公演を控えていた雪組トップの望海風斗(のぞみ・ふうと)さんがいらしたので、励まし合いながら過ごしていました。
退団公演は上田久美子先生の脚本・演出によるすばらしい作品『桜嵐記』にめぐり合うことができました。上田先生とは、『「月雲(つきぐも)の皇子(みこ)」ー衣通姫(そとおりひめ)伝説よりー』や『BADDY(バッディ)ー悪党(ヤツ)は月からやって来るー』でご一緒させていただいたのですが、その前にも、『エドワード八世』の新人公演で最初のご縁がありました。私と上田先生は、不思議と相性が合った気がします。上田先生は妥協しない方なので、先生のストイックさについていける精神力が自分にあってよかったと思います。