たこ揚げが流行しすぎて、大問題に!
さて、いよいよ本題。
江戸の庶民に大流行したたこは、どうしてお正月だけの楽しみになってしまったのでしょう?
そのきっかけは、江戸幕府がたこ揚げの禁止令を出したことでした。
なぜ、そんな禁止令が出たのか?
それは、江戸の庶民がたこ揚げにハマってしまい、夢中になりすぎてしまったからです。
なにしろ、いい年をした大人が、仕事をサボってたこ揚げをするという体たらく。そのころは、“相手のたこ糸を切ったほうが勝ち”という競技用のたこまで現れ、その勝負がケンカに発展し、なんと死者が出ることまであったのです。
さらに、たこが参勤交代の通行のさまたげになるという事態が多発し、堪忍袋の緒が切れた幕府が、明暦元年(1655年)に禁止令を出したのでした。
しかし、それでも庶民のたこ揚げへの熱は冷めません。
当時、たこは「イカ」と呼ばれていたため、「幕府に“イカあげ”は禁止されたけれど、これは“タコ”だから」と見えすいた言い訳をして、たこ揚げを止めませんでした。一説によると、それまで「イカ」と呼ばれていたたこが、現在の名称「タコ」と呼ばれるようになったのは、このときの言い訳がもとになっているといいます。
さて。困った幕府は妥協案として、こんなお触れを出しました。
「参勤交代が行われない正月なら、イカあげをしてもよい」
こうして、たこ揚げは“お正月の遊び”として定着したのです。
お正月にたこを揚げる理由、実はもうひとつあります。
それは、江戸時代、男の子が生まれた家では、その誕生を祝い、年の初めに厄除けの意味も込めて、たこ揚げをしたということです。
現在放送中のNHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』では、パイロットを目指す主人公の舞ちゃんが、子ども時代に五島列島で見た『ばらもんたこ』に勇気づけられる場面があり、たこが重要なアイテムとして登場しています。
この『ばらもんたこ』も、子どもの厄をはらい、その成長と家内安全を祈願して大空に揚げられたものです。
江戸庶民を夢中にさせたたこは、新年に、家族の幸せを願うための縁起物でもあるのです。
(文/西沢泰生)