氣志團のメンバーとの出会い、志村正彦さんとの思い出

──そこからどのような経緯で氣志團結成となるのでしょうか。

雪之丞(白鳥雪之丞・ドラム)の存在は大きかったですね。彼とは中1からの付き合いですが、僕とはもう正反対の性格で、コミュニケーション能力が高くて物怖じしない性格。自分が心惹かれたものにはとことん貪欲にいくタイプで。上京してから彼は6つくらいバンドをかけもちしていて、僕にとって死にたいぐらい憧れていたライブハウスに出演したり、全国ツアーに出たり。その姿を見て、何というかジェラシーみたいなものを抱いていましたね。その辺りにもいろいろなストーリーがあるのですが、それはともかく、1997年の4月、彼を含めて、いや彼を支えに氣志團を結成しました。

 そこから、僕はライブハウスでアルバイトを始めたのですが、そのバイト先にランマ(星グランマニエ・ギター)とトミー(西園寺 瞳・ギター)がいたんですね。彼らはライブハウスの先輩で、それぞれバンドを組んでいて。彼らのレコーディングやライブを見て、完全に打ちのめされました。ただのカッコつけだった僕にはたぶん、何年かかっても書けないであろう曲を既に演奏していたんです

──その2人が加入して、今の氣志團の原型となるのですね。

「そこに至るにはもうしばらく時を要するのですが(笑)。何しろ、僕からしたら太刀打ちできない演奏力があった。そういうショックを、ずっと受けていくんですね。バイト先のライブハウスで、ランマ君が辞めた後に僕のパートナーとなったのが、後のフジファブリックの志村正彦君。当時、まだ18歳だった彼が作った音源を聴いて、あまりにも素晴らしくてショックを受けた。僕も覚悟を決めてバンド活動をして、ある程度のポジションになっているときだったけれど……やっぱ本物っているなと。正彦の作る音楽を聴いて、“少なくとも僕は、ロックの女神に選ばれていない側の人間なんだな”と改めて思い知ったのを覚えています

綾小路 翔さん 撮影/山田智絵

──そこから、どのようにして現在につながるバンド活動を進められたのですか?

「大体ロックに魅せられた中高生は皆、偉大なるミュージシャンの伝記を読んでは必死こいて自分との共通点を見つけて、“俺と同じことを思っているから、やっぱり俺はこっち側の(選ばれた)人間なんだ”って思いこむ。僕もその謎の選民意識をもって生きてきたけれど、東京に来て2年くらいで東京湾ぐらいの大きさの自信が、水たまりよりも小さくなってしまったんですよ(笑)

──自信を打ち砕かれると、そこから奮起するのは大変ですよね。

「当時を振り返るとね、本当にひねくれていましたね。1998年にメンバーになってくれたトミーは、当時は別のバンドもやっていたのですが、お兄さんのように僕のことをすごくかわいがってくれた。毎晩のように飲みに連れて行ってくれたけれど、僕があまりにもネガティブな発言しかしないので、“なんて夢も希望もない若者だろう”と思ったらしいです(笑)。バンドをやるなら“絶対にプロになりたい”とか、“音楽で飯を食っていく”っていう夢を抱くのが当然なはずなのに、あのころの僕はまったく興味がなくて