印象的な出演者は?ビートたけしには「わりと苦手な問題をぶつけられた(笑)」
──辰巳さんの正答率はかなり高く、いつもすごいなと思って見ていたのですが、ご自身が一目置いていた人はいましたか?
「純粋に知識量で圧倒されるというより、僕がすごいなと思ったのは、ボケの答えが面白い人! 特に、渡嘉敷さん(渡嘉敷勝男・元プロボクサー)とか。考えてうまくボケるときと、マジでボケているときとのバランスが絶妙だったんですよね。天性の才能ですよ。『平成教育委員会』はその絶妙なボケがテレビ越しでも映えるよう、きちんと演出してくれていたのもすごいなと思います」
──番組内では、ラサール石井さんや田中康夫さんが辰巳さんのライバルのように感じましたが、ご自身では意識されていましたか?
「僕の場合、ある程度は正解しなければ、というプレッシャーはありましたが、周りは特に気にならなかったです。田中さんと僕は隔週での出演だったけれど、確かに、だいたいこの3人が年間の優秀な成績トップ3をいただいていましたね」
──特にラサール石井さんは、番組内で辰巳さんを気にしているように見えましたが……。
「彼は、そういうキャラみたいなところがありましたからね。でもそれで言うと、田中康夫さんのほうが悔しがっていましたね。僕は番組が始まって半年ほどたってから加わったので、立ち位置が奪われるかもって思われたみたい(笑)」
──辰巳さんはこの番組で、悔しいと感じたことはありましたか?
「それぞれ得意分野もあるし、苦手科目も自分でわかっているから、一喜一憂はしませんでしたね。ただ、○○さんに負けて悔しい、というよりも、“どうしてこれを忘れてしまったのだろう”っていう自分に対する情けなさはありました」
──連続正解がかかっている問題でも、慌てている様子など伺えなかったですが、緊張はしなかったのですか?
「それがどういうシチュエーションだったのか覚えていないのですが、番組的には、もっと派手に喜怒哀楽を表したほうがよかったかもしれないですね(笑)。ただ、もっと言うと、生意気ながらも“この問題、どうして俺しかできないの? ”みたいな気持ちで変に冷静だったりもしたんですよ(笑)。特に、算数の問題がそうでした」
──周りが解けないほうが、不思議だったのですね!
「番組内の問題って、中学受験では必須の内容が中心だったから、“当然みんなできるだろう”って思っていました。でも、受験していない人もいますものね」
──優等生だった辰巳さんは、番組の司会をしていたビートたけしさんから何か言われたりしていましたか?
「特に何か言われたりはなかったですが、わりと苦手な問題をぶつけられたりはしましたよ(笑)。そういう演出は考えられていたみたいです。でも今のクイズ番組と比べると、のどかな現場でしたね」
──作り手や司会者の思いが詰まっているから、長く愛される番組になったのでしょうね。
「『平成教育委員会』は、クイズの解説がありました。たけしさんはバカなことを言いながらも、解説もできるし、番組の進行もうまくおこなってくれた。あの番組は、逸見さんとたけしさんのコンビだからできたんだと思いますね」
──最近は、クイズで正解するとかなり大げさなリアクションをする傾向がありますが。
「あれは、“もっと感情を出して! ”みたいな演出指導を受けているのかもしれないですよね。でも、正解しただけで、そんなにうれしいのかなって思っちゃうけど(笑)。ここ2〜3年、クイズ番組にはあまり出演していませんが、今みたいに早押し中心のクイズはもう厳しいかな。クイズって、問題をよく理解して、さらに答えを聞いて“なるほど……”って思えないといけない。それがじっくり味わえないと、つまらないですよね」