「プレゼントは小石がいい」

 クリスマス2日前の夜、彼女からの言葉に僕は耳を疑った。

「小石って普通の小石?」

「うん」

「宝石とかじゃなくて?」

「うん」

 当時付き合っていたメンヘラ彼女がクリスマスプレゼントとして要求してきた物品は「そのへんの小石」であった。突然の奇異な要求を一旦は失笑で受け止めたが、実を言うとそれは、僕にとって好都合な事態だった。

 当時25歳の僕はラジオ制作会社に勤める貧乏ADで、手取りの月収は福利厚生なしの10万円だった。クリスマスにプレゼント交換をしようと決まったその日は、彼女が身につけていたエルメスのスカーフやヴィトンのバッグのロゴがやけに目についた。

 自分一人が生きるのにも精一杯だった僕にはブランド物など買う余裕などなく、仕事道具のパソコンを質に入れて上司からの激怒を買うか、はたまた彼女からの激怒と失望を一身に受けるか、という地獄の選択を迫られていたのである。

 そんな危機的状況に舞い降りた「小石」という逃げ道は、僕にとって福音に他ならなかった。小石=コスト0。必須な動作は拾うだけ。これ以上に楽な贈り物はない。「プレゼントは小石にしたい」甘い誘惑に負けそうになる怠惰な僕と「クリスマスに小石もらって嬉しい女いないだろ」というマジレスな僕が両サイドから綱を引っ張り合い、均衡状態を作り出していた。

 だが、その戦いはあっけなく決着する。 

 人間は自分にとって都合のよい事実を集めるのが得意である。今までの彼女の蛮行、狂気的立ち居振る舞い、四コマ目が連続したような日々を都合のいい部分だけ抜粋した結果、怠惰な僕が力一杯に綱を引っ張り上げ、マジレス勢を打ち負かした。

 クリスマスプレゼントは「小石」に大決定したのである。

 彼女は「恋人に小石をもらうことが如何にロマンチックな事象なのか」を熱弁し、僕は首を縦にうんうんと振り続けた。だが、その相槌は決して同意を示すためのものではなく、自らのニューウェーブな選択が真理であると自分自身を勇気づけるための鼓舞だった。

 クリスマス当日。僕たちは新宿駅にいた。プレゼントの交換方法はこれまた一風変わっていて、お互いへのプレゼントをそれぞれがコインロッカーに入れて隠し、その鍵を相手に預けて探させるという宝物探しのような形で行われた。

 まずは僕が鍵を渡され、自分へのプレゼントを探すことになった。だだっ広い新宿駅に点在するコインロッカー群の中から、プレゼントが隠れている場所を探し始める。クリスマスである。駅にはいつにも増して仲睦まじいカップルの姿が多く見られた。幸せそうに手をつなぎ、微笑み合いながら会話をしている。僕でも知っているような高級店のショッパーを抱えたカップルもいた。

 この中の何人が恋人に小石をプレゼントするのだろう。クリスマス当日の世俗的な情景を前に僕は少々不安になってきた。敗れ去ったはずのマジレス勢がむくりと起き上がり、また綱を握り始めた。僕の額には嫌な汗が流れ始めていた。

 僕へのプレゼントが隠されたコインロッカーの前に到着した。駅構内の比較的人がいない場所だ。鍵を入れるとピタリとハマり、カチャリという音と共に扉が開いた。彼女は微笑みながらこちらを見ていた。

 僕は「頼むから『葉っぱ』とかが入っててくれ」と願っていた。小石という選択が不正解であることに勘づき始めた今となっては、両者不正解の結末に期待していたのである。葉っぱと小石のクソプレゼント同士の引き分け。お互いに笑って勝負は後日持ち越しが理想的な展開だった。

 カチャリ。

 扉を開けると、なんとそこには僕が好きだったブランドの服が入っていた。前から欲しいと言っていたもので、定価は四万円を超える代物だ。

「(話が違う)」

 それは明白な裏切りだった。四万円。ブランド物の服。優等生的プレゼントである。急いで彼女の方へ振り返ると満面の笑み。私あなたの欲しいもの普段から細かくチェックしてました風のしたり顔だ。

 待ってください話が違いませんか。普通に高いですよこれ。貴方の「恋人から小石を受け取るロマンティック論」はどこに消えてしまったのですか。これはあまりにも普通で、素敵なプレゼントじゃありませんか? ナンセンスで出鱈目な僕たちなりのクリスマスはどこにいったんですか? 怠惰サイドはすっかり転倒し、苦しみもがきながら地面を引きずられていた。

 僕達は次のプレゼントが入っているロッカーへ移動を始めた。彼女のステップからは期待や高揚が容易に感じ取れた。

 だが向かう先のロッカーには、ただの小石が入っている。それも今朝見つけてきた小石だ。どうせそのへんの小石なら本当にそのへんの小石たらしめようと、あえて当日に、雑に家の近所で、形に何のこだわりもなく、ぽっと拾った小石である。決してサボった訳ではない。努力して楽をした。苦しみながら怠けたのである。そんな無稽の結晶を作り上げる努力を彼女は理解してくれるだろうか。怠惰サイドはしょんぼり顔で弱々しく綱を握っていた。

 コインロッカーの前についた。

 僕は脂汗を流しながら、彼女からの言葉を思い出していた。「クリスマスプレゼントは小石がいい」。明確に言葉に出したのは彼女である。「ブランド物とかじゃなくていいの? 僕頑張りますけど」。僕はそうも言った。それは実現不可能なハッタリだったが、彼女はそれに対しても「いや、小石がいい」と言った。

 だが思い返して見ればこれは大きな言質ではないだろうか。恐らくこの女の子は狂っているのだ。本当にプレゼントに石をもらって喜ぶ子なのではないだろうか。ブランド物よりも高価な物よりも「拾ってきた石」という世界で一つだけのモノに価値を見い出す子なのだろう。

 ワッセ! ワッセ! ワッセ! 怠惰サイドは大きく湧き上がった。綱を引く力が過去最大限に大きくなった瞬間である。

 カチャリ。彼女が扉を開けた。

 そこには、なんとも小さい、ただの石がコトリと置かれていた。

 僕は「あれ? こんなに小さかったっけ?」と思ってしまった。銀色の立方体の中にポツンと置かれたその小石は、置いた本人の僕が驚嘆するくらいにあまりにも貧相だった。一瞬、誰か他に石を入れた人のロッカーと間違えたかなと思ったほどである。

 だが、石が貧相であることは本筋と関係がない。石がデカけりゃいいのかとかそういう問題でもないだろう。何しろ世界でただ一つの石なのである。僕が今朝拾い、その子のために用意した特別な石だ。僕は彼女の顔を見た。

 世の絶望をすべて集めたような顔をしていた。

 口は大きくあんぐりと開かれ、眼球は黒目一色に染まり、硬直している。死霊や呪物に遭遇した人はきっとこんな顔をするのだろう。石を凝視する彼女とそれを凝視する僕。口にせずとも「マジで……?」というモノローグが新宿駅構内に響き渡っていた。

 そんな当時の彼女へ謝りたい。ごめんよ、クリスマスにただの小石をプレゼントしちゃって。次の日、大急ぎでアディダスのジャージを買ってプレゼントしましたが、この間インスタで貴方のお婆ちゃんが着ているのを見ました。暖かそうでよかったです。

(文/わるい本田、編集/福アニー)

【Profile】
●わるい本田
1989年生まれ。YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の出演と編集を担当。早稲田大学を三留し中退、その後ラジオの放送作家になるも放送事故を連発し退社し、今に至る。誰にも怒られない生き方を探して奔走中。