2013年、念願だったシアトルへの留学を経験した私だったが、到着してみると理想とはかけ離れた生活が待っていた。

 これは前回のコラムで書いたが、最初の洗礼はホームステイだった。

 ホストマザーの目を盗んでは繰り返し行われる、ホストファーザーと庭に飼われている大男との卑猥な行為に、相当なメンタルを消耗した。

 そしてもう一つ、理想とのギャップに苦しんだのが、学校生活だった。

 語学学校に週5日通うことになっていた私は、当初様々な国から集まるであろうクラスメイトに思いを馳せていた。

「西海岸だからアジアからは当然多くの学生がいるだろう。放課後には彼らとカフェで課題をやって、週末には南米から来たケツがデカいギャル達とクラブで踊るんだ……!」

 そんな夢は木端微塵に砕け散ることとなる。

私のクラスメイト

 初めての登校日、まず異変に気がついたのはトイレの洗面台だった。

 手を洗うだけではまずこんなことにはならないだろうという量の水が洗面台の床を濡らし、ビショビショになっていたのである。

 すると髭を蓄えた白装束の男たちが威勢よくトイレに入ってきた。

 彼らはなぜか用を足すことなく、私の前に割り込んで、体中を洗面台で洗い始めた。

「この白装束の集団がビショビショにしているんだな」

 それだけは理解できたが、彼らの目的が一切わからない。

 怪訝に思いながらトイレを出てみると、ロビーが白装束の男達で溢れかえっている。

 彼らは一斉に手を前に突き出し、土下座のようなポーズを取り始めた。

 それは明らかに宗教的な儀式であったが、当時の私には触れたことのない文化で、何を意味しているのかよくわからなかった。

 ただ、思い描いていた理想の学校生活に陰りが見えてきたのは確かだった。

 その後、学校の職員に教室まで案内された。

「クラスメイトはみんな既に学校に通っている子たちだから、わからないことがあったら何でも教えてくれるよ!」

 そう言われ、ドアの前に立つ。

 まるで転校生のような気分だ。

 転校をした経験はなかったが、女子からモテモテだった転校生のことをふと思い出す。彼は最初に教室へ入って来たとき、どのような所作で女の子たちを釘づけにしていただろうかと考えた。

 きっとクールで、口数は少なかったはずだ。

 だがそれではケツのデカいギャルたちと仲良くなれるビジョンが浮かばない。

 そんなことを考えているうちに、教室の中から名前を呼ばれた。

 胸が高まるのを感じながらゆっくりとドアを開ける。

 目に入って来たのは、先ほどの白装束の男達だった。

 手短に自己紹介を済ませると、「ワッラ! ワッラ!」というアラビア語で歓迎され、先生からこのクラスの説明を受けた。

 なんとこのクラスは私以外全員サウジアラビア人の男だという。

 彼らの真っ白な服は「トーブ」というアラブの民族衣装で、土下座のポーズはイスラムの聖地メッカに向けた祈りを捧げていたそうだ。

 その前に体を清める必要があるらしく、学校のトイレはいつでも床がビショビショに濡れていた。

 初日は簡単なオリエンテーションだけで終わり、この後どうしようかと考えていると、フセインとムハンマド(ムハンマドは同じクラスに4人いた)に声を掛けられた。

 近くの公園へ遊びに行こうと言う。

 クラスの雰囲気は思い描いていたものとはほど遠かったが、クラスで完全に孤立しそうな私を気に掛けてくれたことが嬉しくて、二つ返事で「行こう」と返事をした。

懺悔の時間

 公園に着くと、フセインがサッカーボールを取り出し、ゲームをしようと言い出した。

 壁の赤く塗られた部分に向かってボールを蹴り、跳ね返ってきたら交代交代で順にそれをまた赤い的へ蹴り返すというシンプルなルールだ。

 その後で、フセインはこう続けた。

「ただ、そのゲームでミスをした者は、今まで誰にも言ったことのない秘密を暴露しなければならない」

 そう言われてから、自分史を振り返る中で2、3個のヤバいエピソードが心の中で候補に挙がった。

 しかしまずは、彼らの話がどれほどの禁忌を犯しているのか、そのバランスを慎重に見極めなければならない……。

 様子を探りながらゲームが進む中で、まず最初にミスをしたのはムハンマドだった。

 一体どんな話をするのだろうか。

 ムハンマドは、ギョロリとした目をさらに大きく開いて、

「いいか? これはもう3年も前のことだから」と切り出す。

 その前置きが、これから告げられる出来事の罪深さを物語っているようだった。

「3年前、イギリスに旅行に行ったんだ」

 ムハンマドが、視線を落としてこう続けた。

「その時、バーに行って酒を飲んだ」

 私は続きを待ちながら、ムハンマドをじっと見つめた。

 すると、耳元で怒声が響いた。

 フセインがブチギレていたのだ。

 その後のやり取りはアラビア語だったので詳細はわからない。

 ただ彼らにとっては、たとえこのような懺悔の場でも、酒を飲むなんて到底許せるものではないということを理解するには十分なブチギレ様だった。

「まあゲームだからさ……」

 フセインをなだめていると、ムハンマドはゲームを再開しようと無言で壁に向かってボールを蹴った。

 しかし、その後も先ほどに比べて明らかにムハンマドのキックの強度は上がっていく。

 続いて蹴るフセインはボールに追いつくのがやっとだ。

 無言の攻防も4周目に差し掛かったとき、壁から跳ね返ってきたムハンマドの強烈なシュートがフセインを襲った。

 ボールはフセインの腿に当たり、虚しくも壁には届かなかった。

「さあお前の番だぞ」とばかりに、ムハンマドはフセインに歩み寄っていく。

 私も小走りで彼らの元へ行き、フセインの言葉に耳を傾けた。

 フセインは大きく深呼吸をした後、神妙な面持ちでこう話し始めた。

「俺は実は……」

 緊張が痛いほどに伝わってくる。

「セックスをしたことがある」

 その瞬間、ムハンマドの拳がフセインを襲った。

 しかし、ムハンマドも飲酒という大罪を犯した男だ。フセインも黙っている訳にはいかない。

 アラビア語でまくし立てる彼らに圧倒されつつも、その場をどうにか収め、我々は別々に帰路についた。

 だが、非童貞をカミングアウトしたフセインの罪は相当に重いようだった。

 クラスでも村八分に遭い、居場所のなくなったフセインを見ているのは辛かった。

 仮にも学校初日に遊びに誘ってくれた数少ない友人なのだ。

「元気出しなよ。俺が手で抜いてやろうか?」

 そう言ってフセインに苦笑いされる私も、当然の如くサウジアラビア人から「異端」として見られ、腫れ物扱いの日々を送った。

 時々想像することがある。

 もし私があの時最初にゲームに負けて、とんでもない秘密を暴露していたら……?

 シアトルへ留学して、クラスメイトが全員サウジアラビア人だなんて思いもしていなかった。でも何が起こるかわからないのがアメリカだ。

 皆さんもアメリカへ行く際は「サウジのブチギレポイント」を押さえてから行くことを強くオススメしたい。

(文/池田ビッグベイビー、編集/福アニー)

【Profile】
●池田ビッグベイビー
1991年生まれ、YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」のメンバー。185cmという巨体を武器に大学卒業後はネズミ駆除の仕事に就くも、YouTuberへ転身。「池田ショセフ」名義で音楽活動も行う。