「俺、この本、出版されてから読み返していないんですよ。だって俺の場合、もう学ぶことがないから(笑)」
新宿・歌舞伎町という街に足を踏み入れると目に入ってくるのは、煌(きら)びやかな夜の世界へ誘う看板たち。その世界で「神」と呼ばれたのが、現役ホストで実業家の降矢まさきさん(33)です。自身初となる著書『日本一「嫌われない男」の億を売る仕事術』(扶桑社)について筆者が感想を述べると、返ってきたのが冒頭のひと言。歌舞伎町の頂点に君臨する“降矢まさき節”は、取材の冒頭からすでに始まっていました。
降矢さんはコロナ禍において、それまでのホストの年間売り上げ日本記録を2億以上も上回る、5億2000万を達成。本書では、業界では“遅咲き”の彼が、いかにしてトップに上りつめたのか、波瀾万丈の子ども時代に得た経験をもとに語られています。なぜ彼は、競争の激しいホスト界で成功を収められたのか? インタビューから解き明かしていきたいと思います。
風俗嬢の母と暮らした幼少期、つらかったことは? 中学を卒業しすぐに“自立”
──初の著書が発売になっていかがですか?
「自分の本を出すのはやりたいことのひとつだったので、実現できてよかったなと感じています。ただ、この本を読んでいただいても、ぶっちゃけ誰も同じようにはマネできないだろうなと思うんです。どうしてかというと、ここで紹介している内容は、俺にとっては苦労して続けてきたことじゃなくて、すべて直感とか感覚に従ってやってきたことだから」
──著書の中では、ご自身のことが赤裸々に書かれています。お母さんの職業が風俗嬢となっていますが、そのことにはいつ気づいたのでしょうか。
「保育園のころから、母親が働くお店に連れて行かれて大人の女性に囲まれていた思い出はありますが、はっきりと自覚したのは“大人”になる前くらいですね。中学を卒業して建設会社に就職したんですが、社員旅行でマカオに行くことになり、パスポートを取るために戸籍謄本を取り寄せたら、生まれた場所が聞いていたのと違うなって(笑)。まあ、父親がそのとき暮らしている男性と違うことはもうわかっていたんですけれど。そのあと俺も夜の世界に入るようになって、周囲の生活を見ているうちに、“ああ、母も絶対に風俗勤めだったな”って確信しました」
──自分の出自を知ったときは、どんな気持ちでしたか?
「(ケロリと)なんも思わない。“親は苦労したんだろうな〜”くらいの気持ちです」
──周りの家庭と比べて、つらかった記憶ってありますか?
「遠足のときに弁当がないとか(笑)、誕生日やクリスマスを祝ってもらえないとか。あとは、やっぱりゲーム関係ですよね。例えば、流行(はや)りのカードゲームとか、みんな持っているのに自分だけ持っていないみたいな。だから仲間に入れなかった。カードゲームが欲しくて万引きをしてしまったこともありましたよ。正直言って、カードが欲しかったっていうより、友達の輪に入って遊ぶためには持っていないとダメだったから」
──子どものほうが、みんな同じものを欲しがりますからね。
「小、中学生のころは、先輩と遊ぶときに先輩がタバコを吸っていたら、俺もパクってきて一緒に吸っていました。それだけ仲間を作るのに必死だった。家に帰っても、母親の顔色をうかがうような生活でしたからね」
──お母さんとは、どのように接していましたか?
「めちゃくちゃブン殴ってくるタイプだったんですよ(笑)。ファンキーな母ちゃんだったんで。でも子ども心にも、殴られたりするのは痛いし、気に入らないことがあると、玄関から出されて鍵を閉められるっていうのも当たり前でした。だから、(著書に書いたように)“ここで嫌われなければ、怒られることはない”っていう防衛本能が早くから働くようになったんでしょうね」
──幼いころから、洞察力が身についていたのですね。
「生活力がないうちは、母親の機嫌を損ねたら終わりですからね。でも、小学3年生くらいまでは母ちゃんに勝てなかったけれど、柔道とか格闘技をやるようになってからは、腕力がついて逆転しちゃった。中学になると、親から何か言われても“ぶち殺すぞ!”とか反抗しちゃって、会話がほぼありませんでした。だから中学を出てすぐに働くことに決めても、何も言われなかったですね」
──早くから自立しようとしていたんですね。
「というよりも、そのころは本当に荒れていたんです。俺は母親の連れ子で、新しい親父が建てた家に住んでいたんですが、親父に対しては “お前を住まわせてやった”とか“育ててやった”って言われる筋合いはねえぞって思っていました。母親にも反抗しかしていなかったから、家族で一緒にいるのはムダな時間って考えていた。だから早く自分の力で稼ぎたくて、すぐに就職したって感じです。中学からの3年間で反抗しきっちゃったから(笑)、俺自身、引くに引けないっていう部分もありましたね」