あのちゃん以前、あのちゃん以後
──おもしろい現象ですよね。SNSの流行もあって無名の人がすぐ有名になるようになった2010年代ならではというか……。最近でいうと、大活躍中のあのさんも来られてましたね。元ゆるめるモ!の。
「そうですね。最近よくテレビで見ますね」
──あのさんが初めて来たのっていつぐらいですか?
「もう10年くらい前じゃないかな? あのちゃんが初めて来てくれたとき、実は僕は店にいなくてうちの母親に留守番頼んでたんですよ。用事を済ませて店に戻ったら母が“今、ギター抱えた方が来てくれたよ”って。
誰だろうと思ったら、当時お店に飾っていたゆるめるモ!のCDに『あの』ってサインしてあって。それが粋というか、めちゃくちゃカッコよかった。そのCDが『箱めるモ!(※)』だったから、初めて来てくれたのは2014年くらいだったと思います」
※箱めるモ!:ゆるめるモ!と箱庭の室内楽による、2014年発売のコラボレーション・ミニアルバム。
──カッコよ……。
「でも当時から影響力はすさまじかったですね。うちで買ってくれたヘアゴムとかアクセサリーをつけてライブに出てくれるので、ファンの女の子が同じものを買いに来てくれていました。ゆるめるモ!は当時まだそれほど有名ではなかったと思いますので、あのちゃんの登場は局地的にかもしれませんが、すごいムーブメントでした」
──確かに、登場してから今まで、あのさんのカリスマ性はとんでもないですよね。どこがすごかったんでしょう。
「もともとアイドルって“ファンに夢とか元気を与えたい”みたいなポジティブなコンセプトが主流だったと思うんですよ。でもあのちゃんって、おそらくそんなの全然ないですからね。全然夢を与えようとしてなかったというか。
“ザ・現実”みたいな感じで、つらいときにつらそうな感じを出すアイドルって、それまでいなかったですよね。それが当時は斬新でした。“あのちゃん以前、あのちゃん以後”ってのは、確実にあるでしょうね。本来ならアイドルになるようなタイプじゃなかったんでしょうけど、SNSとかと連動して発信されたことで、世間に認知されたというか」
──なるほど。今は“地下アイドルがつらそうな顔をすること”はだんだん当たり前になってきましたよね。
「そのスタンダードを構築したひとりは、あのちゃんだと思います。もちろん、当の本人は意図してないと思うし、外野からの的外れな意見かも知れませんが。
彼女を見て楽になったり“そのままでいいんだ”と思えた人はたくさんいるでしょうね。それまでの“いつも明るくて夢いっぱいみたいなアイドル像”に共感できなかった人たちをたくさん救ったんじゃないかなぁ」
──なるほど。間近で見ていても、地下アイドル像をガラッと変えた感じがあったんですね~。
「あとはもうたたずまいというか身体性というか、あのちゃんのアティテュードが渾然一体となって一大ムーブメントになったんじゃないかな。
平成のファッション史であんまり語られないけど、間近で見ていてシノラーとかアムラーくらい盛り上がりましたよね。ボブカットにパンダのスリッポン、水色、みたいな。中野ロープウェイのTシャツが今でも、白・黒・水色の3色展開なのはその影響です」